40歳以降の種蒔きと継続のバランス

20代の間はどんなことにも貪欲に挑戦しようと、とにかく目の前にあるものに全力投球してきましたが、思い返すと35歳を過ぎた頃から何事にも効率を考えるようになりました。仕事でもプライベートでも、その活動にかける時間や労力等のコストに見合ったリターンはあるのかと考え、手をつけるものを選別するようになりました。その理由は自分でもはっきりわかっていて、体に衰えが見え始めたからです。

年齢によって外見に大きな変化はまだ現れていないと願うばかりなのですが、疲れが残りやすくなった気がする頻度が増えたり、怪我が治るスピードが遅くなったり、新しい発想が思いつきにくくなったり、内面の変化を感じます。これを衰えといってしまうと年長者に怒られてしまいそうなくらいちょっとしたことばかりですが、そういった体力の折り返し地点を感じることが多くなったのは事実です。残念ながら、そういった衰えを感じる頻度は年々少しずつ高まっており、現実的にはどれだけ健康的な生活を心がけたりトレーニングを続けても不可逆なのだと思います。私はそれをで現実として受け止めて、可能な限り自らのパフォーマンスを落とさないよう毎日様々心がけています。このことについては、以前も投稿しました。

ただ、40歳になった今、何をするにも費用対効果で選別しているのは正直悔しいです。やりたいことも会いたい人も行きたい場所もたくさんあるのに、自分の体が2つか3つほど足りない状態です。気持ちも体ももっと若かった35歳くらいまでに、よりたくさんのビジネスや人脈や趣味に種蒔きをしておけばよかったと思います。若い頃がむしゃらにやってきた自負があるにもかかわらず、振り返るとそう思えるので、どれだけやっても満足することはないのかもしれませんが、それが40歳になった今思う正直な気持ちです。

私が今最も重視しなければならないのは新しい種を蒔くことではなく、芽が出た種をより大きく育てることや、つながった点と点を結ぶ線をより太くするために、何事も安定して長く継続することです。それ自体は悪いことではありませんが、悔しいのは、体力の折り返し地点が来てしまった以上、それ以外のオプションで戦うことを選ぶのは賢明でない可能性が年々高まってしまうことです。

ミッドライフ・クライシスとは、きっとこういった葛藤から来るものなんだろうと思います。一方、40代以降になってもそんな波がある人生とは、なんて刺激があって味わい深いものなのだろうとも感じます。そんな人生後半の起伏すらも楽しめる余裕を常に備えられるよう、フィジカルとメンタル両面の健康を確実に保っていきたいと考えています。

もちろん、私自身前向きな気持ちは失っていませんし、毎日刺激があるこの人生を心から楽しんでいます。そして何より、新しいことを始めるのに遅すぎることなどありません。今からでもたくさん種蒔きはできます。ただし、そのスピード感を自分で制限しなければならない年齢は想像しているよりもずっと早めに来るということ私はを学びました。これから未来を創る若者も、そのことを若いうちから覚悟しておいて損はないと思います。