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何もかも美しくカテゴリー化された世界からの脱出を。

ぼくは、美しい構造が好きです。

スーパーの野菜コーナーは、色や葉物・根菜などで"規則的に分かれている"と、買い物かごに入れる順番に悩まなくて便利だし、
書店に行ったら、まずは"フロアマップ"をチェックして、お目当てのビジネス書コーナーに歩いていくし、
TVerだって、"タブ欄"から迷わずバラエティをクリックして、お気に入りの番組をチェックします。

こんな生活感あふれることに留まらず、いまの時代、世界の様々な事象はとても美しく整理され、体系化・カテゴリー化されていきます。

美しい体系化のもとでは、人は考えるための時間・労力を著しく下げることができます。ごちゃごちゃ考えないで済みます。

これは本当に凄いことで、人類のたゆまぬ進歩の積み重ねだと思います。

先日、MBSの「日曜日の初耳学」というTV番組で落合陽一さんが「考えないって決めた人を、考えないで大丈夫にすることが国やリーダーの役目」というお話をしていました。この言葉からは色々と考える機会を頂きましたが、「人類」という種における各国やリーダーは多くの役割を果たし、功績を残してきたのだと思います。

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こうした美しいカテゴリーは、いきなり生まれるものではありません。

具体的な目を惹く事例が生まれて、
それに類する事例がまた生まれて、
"誰か"が規則性や法則を見つけて、一般化するのです。

教育現場でもこういった現象が生まれています。

STEAM教育」もそのひとつ。

wikipediaでSTEAM教育の定義を調べると、このように出てきますが、これは「結果としての定義」です。

STEAM教育(スティームきょういく)とは、 Science(科学)、 Technology(技術)、 Engineering(工学)、Mathematics(数学)を統合的に学習する「STEM教育(ステムきょういく)」に、 さらにArts(リベラル・アーツ)を統合する教育手法である

一方、本質的な起源を考えると、こんな感じだったと思うのです。

子どもたちが批判的に考え、知識を応用して、想像的・創造的に、現実社会に存在する問題に取り組める場をつくろう
→科目横断的なインプットとアウトプットが必要だ。
→それらのプロセスの中で良く出てくるのは、STEAMだった。

僕は一般化・体系化を否定するつもりは全くありません。
新たな概念を、わかりやすく多くの人に広めるためには、絶対に必要だから、むしろ非常に大切な営みだと思っています。

だけど、最近はこんなことも考えています。

僕らは「与えられたカテゴリー」から、自分の意見を選ぶことが当たり前になってしまっている気がするのです。

何の科目が好き?
どの学科に入る?
どの業界に就活するの?
といったように、相手への問いすらも「"誰か"に与えられたカテゴリーから選ばせる問い」が増えてしまっているように、自戒の念も込めて思っています。

そうしていつからか。僕らは美しくカテゴリー化された世界から、選ぶことに慣れきってしまってはいないでしょうか。

少し話は変わりますが、ぼくらは、あしたの寺子屋のメンバーで、いつもこんな話をしています。

「様々な良いコンテンツは世の中にある。それをキュレーションするのが寺子屋長(寺子屋開校者)の役割だ。」

「キュレーション(curation)」とは、情報を収集し、それを再構築し、新たな価値や意味を付加して、共有することです。ラテン語の「キュラーレ=世話をする」が語源と言われ、博物館や美術館で作品を見やすく展示し、説明する役割が本来の意と言われています。

僕なりに解釈すると、寺子屋長の役割は、寺子屋に通う児童・生徒ひとりひとりにとって、世の中がより魅力的に見えるように並べ替え、切り取るお手伝いをすることなのです。

"誰か"たちがつくった美しくカテゴリー化された世界から解き放って、「君だけの美術館を作ってもいいんだよ」と言ってあげることなのです。

そのためには、やはり人類のたゆまぬ努力と進歩でくみ上げられた既存の美しい枠組みから、脱出しないといけないのかもしれない、とふと思いました。

かつてギリシャの司書や学芸員がやっていたように、ただ、子ども達がおもしろいと思うものを、一緒に集め、それがなぜ面白いかを、つきつめ、言葉にする。

これこそが、僕らの突き詰めたい学びなのかもしれません。(まだまだ試行錯誤しているので、先輩方ご指導ください。)
※そんなことを突き詰めてきた方と、この夏一緒にお仕事出来そうで、今から楽しみです。

今の子ども達には、ゆっくりただおもしろいものを集める時間が足りないのかもしれませんね。すぐに、あなたはどのカテゴリなの?を求められてしまう。

サッカーが好きかもしれないと思って部活に入ったら、サッカー部というカテゴリで3年間を過ごさないといけないですし。科目選択の中で自分は英語が得意だから文系かな~などと、早い段階で決めざるを得ない。

そして子どもたち自身も何者かにならないといけないと思ってしまう。所属組織名以外での「〇〇の人」といった明確なカテゴリが自分に無いことに悩んでいる大学生・若手社会人が多いことからも明らかな気がします。

弊社に7月から入ってくれる頼もしい仲間のひとりが言っていました。

あしたの寺子屋の活動は、「次」を探すよりは「前」に戻るようなアプローチの方が我々の探してる本質に辿り着きそう。

そうかもしれないと改めて思っています。

既に"誰か"たちに作られた美しいカテゴリをあえて手放し、境界線をあえて融かしながら、子どもたち一人ひとりにとっての世界とのつながりを取り戻す。そんな学びを地域から創っていきたいと思って日々頑張っています。

少しでも興味を持ってくださった方は、こちらをチェックください。

もう少ししたら、会社に最高の仲間が加わり、少しだけ体制が安定するので、これまでの活動などを少しずつ発信していく予定です。がんばります。

少しでも多くの方々と、これからの学びの在り方について話していければ嬉しいです。気づきや感想など、気軽にメッセージなどくれればうれしいです。

読んでくださり、ありがとうございました。

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