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大人が感じて、知って、分かったことを、そのまま伝える場をつくっていきたい。

こんにちは。

今日も今日とて、あしたの寺子屋のお話を。
今週末は上士幌町を超えて、さらに北海道の東へ。
網走のあたりに、新たな寺子屋づくりにむけて訪問をしていました。

そこで静かなる情熱を持っているステキな大人たちと話しているなかで感じたことを、つらつらと書き記したいと思います。

素敵な方々にたくさんお会いさせて頂いたのですが、市議会議員の近藤さんや流氷硝子館の軍司さんのお話がとっても印象に残っています。

お話の中から、いろんな勉強をさせて頂きました。
「この映画から、若い頃こういうことを考えさせられてて…」
「身近な食べ物や、ごみ問題にも政治や歴史が絡んでいて…」
「実はこの商店街はこんな人たちがアツい仕事をしていて…」

ここには書けないほど、「おれたちはこれをすごい・面白いと思った、の詰め合わせ」をたくさん頂きました。それに対して、なるほど~と思ったり、あぁでもないこうでもないと話したり。

こういう時間なんだよなぁ。

今日、実際に流氷硝子館にお伺いした時も、本当に心動かされることが多くて。

流氷硝子館では、廃棄された蛍光灯のガラスをリサイクルして、きれいなガラスにしているそうです。
きれいなガラスにするために、地域に眠るホタテの貝殻や温泉の湯の花などの未利用資源を活用しているそうです。
それだけでなく、商売的にはピークになるけれど、全国的に電力量がひっ迫する夏は、節電のために窯を休ませるそうです。

これらは、すべてオホーツクの流氷を無くさないため、だそうです。

HPにも、軍司さんの想いが描かれています。

"流氷硝子は、私たちのメッセージです。
オホーツクの流氷をなくさないために、そしてかけがえのない地球の環境を守るために、私たちは、「流氷硝子」を作り、お届けすることを通して、地球温暖化防止に取り組んでいます。このガラス製品を手に取ることで、リサイクルや環境問題について考えるきっかけになれば幸いです。"

この話を硝子館で軍司さんから聞いたとき、こんな人たちの人生を味わえることの幸せを噛み締めました。

こういう時間なんだよなぁ。

こんな時間を噛み締め、味わう中で思い出した言葉がありました。
それは、上士幌町で実は心に残っている弊社メンバーきよとくんの一言でした。

子どもたちに好きなことを聞く前に、まずは、僕らが好きなことを話そう。
©阿曽沼陽登

僕自身、子どもたちや、少し年下の人たちと関わる時、「きみは、どんなことが好きなの?」と相手を知るためのコミュニケーションを始めがちでした。

その子の持っている"興味のプレート"に合わせて、自分の持っている食材という名のエピソードを切り分けて渡して、「分かりやすい状態」にして届けてしまうんです。

このスタンスを自分から少し変えていこう、
そういう振り返りをしたことを思い出しました。

僕の尊敬してやまない、経営コンサルタントの波頭亮さんの言葉のひとつに、このようなものがあります。

"正しく分かる"とは、"正しく分けられること"である。
(出所:思考・論理・分析―「正しく考え、正しく分かること」の理論と実践)

この言葉をつかって考えると、分かりやすい話というのは、
「自分に合わせた形で切り分けられ、違和感を感じさせないように届けられた話」という言葉で形容できると思います。

だから分かりやすい話には、聞いたときの"心のザラザラ感"が少ないんです。

僕は、分かりやすいことは、全く悪いことだと思いません。むしろ、分かりやすい話や文章が好きです。いま、この文章を書くときすら、分かりやすい文章にしたいと思っているほどです。

それは、滑らかに、違和感なく、その人の中に話が入っていき、「聞いた後に一緒に考える時間」になめらかに移れるからです。
こういうコミュニケーションの中からも、気づけることも沢山あります。

だけど、うまく切り分けないで、エピソードを食材のまま興味のプレートのことを考えずに渡してしまうことも大丈夫だと、最近思うようになっています。

「よくわかんなかったけど、あの人すごく全力であの話してたな」という心のザラザラ感は、何かのタイミングでその出来事を思い出す一つのきっかけになるからです。

だから。

大人が感じて、知って、分かったことを、そのまま伝える場をつくっていきたいとおもいました。

その場では子どもたちに伝わるか分からないけれど、それでいいんです。
話す側の大人はそれが怖いかもしれないですが、それがいいんです。
いつか、どこかで子どもたちがその時間を思い出すきっかけの種をまく場に、その場がなるだろうからです。

もちろん子どもたちから言葉を引き出す時間も、大事です。
ただし、「おれらが話してもいいんだ」と子どもたちが思うためには、まずは大人が感じて、知って、分かったことを、そのまま伝える場も必要だと思うのです。

そんなことを改めて感じ直した出張でした。

やはり、言葉というのは発酵して、あとから意味の総量を増すものですね
あたりめのようです。
今わからなくても、いつかどこかで、「そういえば」と思いだす。
そんな種をまいておくことの大事さを感じる日々です。

これからも、こういう場を創っていきたいと改めて思いました。

みなさん、よいお盆休みをお過ごしください。

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