この写真集が作られるという話があるずっと前、初めてこれらの写真のうち何枚かを見せてもらった時に思い出した言葉が。 「なんにも写ってへん!」 でした。 もちろんこれらの写真はこの言葉とは全く逆で、一枚一枚に必ず何かが写っていました。 写したのだから間違いなく何か写ってて当たり前でしょと思われがちですが、なかなかそこは難しいものがあります。 ではこの「なんにも写ってへん!」という言葉は何なんだと言う話です。 ある番組の撮影でアルジェリアの高台でアルジェの街の俯瞰を撮影してい
パラリンピックもあと少しで終わります。 やはり日本選手の活躍には胸踊りますね。 でもやはり何かオリンピックとは違う感情があります。 特に僕には。 純粋に競技の勝敗だとか選手の頑張りだとかには胸躍るのですが、時々ふと我に返って、もし自分がこうなったらどうなんだろうなどと考えだしたらいてもたってもいられなくなります。 いろんなことが頭をよぎり始め、考えてもどうすることもできないことを考え始めて不安になってしまいパニック状態になってしまいます。 これが自分の不安症です。 です
その方面の好きな人、違う話ですからね。(笑) 基本的に自分で撮って自分でSNSなどに上げる写真は無修正。 もちろん保存するのも無修正のまま。 大体撮影すると言ってもiPhoneでなのでいつでもオリジナルに戻せるのでありがたいんだけどね。 修正するのがめんどくさいというのもあるけど、理由は別にある。 その写真はその時その場所で、撮影できるカメラがなければ撮れないわけです。 僕はその時その場所で撮った貴重な一瞬を修正することに大きな躊躇があります。 かつて「アメリカ横断ウルト
長文になること覚悟願います。 まず大切なのは、安いものではないので気に入らない車には乗りたくない。 気に入った車以外は乗換える気はないということ。 両親が存命中は年に何度かは6人以上一緒に乗る必要がある。 これはマストだ。 普段は1人か2人しか乗らないので、ワンボックスタイプは好まない。 その条件に叶う車がなかなかないのだ。 これが20年以上今のストリームに乗り続けた理由。 今乗っているストリームもエンジンオイルの漏れやラジエーターの水漏れなどそろそろ限界が近づいてきてい
入試の時期なのでこんな話題を…。 かれこれ50年近く前の話。 1972年末結構早くに関西の私立大学の合格は決まっていた。 その後年が明けて関東に入試行脚に来るわけですが、全く出来ず2校落ち。 その出来なさにもう関東の大学は無理と諦めた。 記述式の関西の大学入試とマークセンスを取り入れた関東の入試との違い。という言い訳をする。 全くマークセンスに馴染みがなかったので関東で1校受けただけでこれはだめだと思った。 もし関西の大学でもマークセンスだったら僕はどこも受かってなかったと思
昨日11月21日の日本シリーズでの話。 丸選手の一塁への走塁についてMLBダルビッシュ選手からもダメ出しが出ています。やはり走者が気をつけないといけないと。 これに関しては異論はありません。 でも、僕は一塁手も正当な守備をしているし丸選手の走塁もなんとかダブルプレーを逃れたいと必死な走塁で致し方なしだと思います。 以降これとはあまり関係がないかもしれない僕の試合での経験を記します。 まず、僕は小学生低学年の頃の地区のソフトボール大会から根っからの一塁手です。 親友が長嶋フ
先週来背中左側が痛く、なんとか我慢できる範囲で徐々に良くなっていた。 そこに、まず大丈夫だろうと日曜日野球の公式戦。 好きだから休まないよね。 試合中はほとんど痛み感じず、試合も勝って良かった良かった! ところがグランドを出た途端、座るも地獄立つも地獄の痛み。 アドレナリン出まくりの時の人間の体の凄さをあらためて思い知った。 そして今日は午前中出社を遅らせ、整形外科へ。 9時にネット予約して診療開始時間前に行ったにもかかわらず、呼ばれたのは40分は過ぎていた。 早く診察を受
僕が還暦になった頃にいたチームはまだ市の大会でも一番上のクラスにいた。 上のクラスになればなるほどピッチャーが良いのでなかなか点を取るのは難しく、1点をどう取るかが非常に重要になる。 たまたまノーアウトで僕が2塁打を打った。 次のバッターが送りバンド。 しかし情けないことに僕は3塁でタッチアウト! 若いチームメイトたちから足遅っせ〜よ!との罵声が飛ぶ。 自分の足が遅くなったことは情けなかったけど、この還暦の爺に子供より年下のまだ20代の若い連中から自分たち同様の野次を
・長谷川感染に衝撃、全選手の陰性確認まで活動休止へ ・鳥栖発熱者も試合決行「やらないべき」東京監督訴え ・熊本工が出場辞退、学校内でコロナ濃厚接触者確認 今日(8/2)の日刊スポーツWeb版の見出し10個のうちの3つがコロナ関係でした。 コロナは風邪、大した病気じゃないと言っている人たちにとって、自分が罹った時、風邪みたいなものだと言って自分だけの問題で済むものではないということはご理解いただけますでしょうか。 この3つの例で言えばチームの機能が停止します。 どのくらい
半分ほど飲み残してあったコーヒーの表面に波紋ができた。 大きなトラックでも通ったのか? そう思った瞬間、カップがソーサーの上でカタカタ揺れコーヒーがこぼれ始めた。 いつものように14時位からの遅いランチを済ませコーヒーをゆっくりいただくという、勤務時間内で一番まったりできるひととき。 慌てて店を飛び出る人、中腰のまま動けなくなった人、それぞれの行動があった。 そのうち収まるだろうと高をくくっているうちに店内は僕一人。 外から慌てて飛び込んでくる店長らしき人。 「出てください
早く帰れたので、 ファミリーヒストリー「太田光~亡き父が残した書 “爆笑問題とは何ぞや”~」 をみながら一杯。 「もう若い売れない頃はとにかくなんでも仕事がしたかったですね。」 これは裏方の僕たちも同じ。 僕もとにかくなんでもやった。やらなきゃ食えないから。 そうするうちにいつの間にかいい仕事がもらえるようになる。 いい仕事の隙間でもなんでもやっているうちに、その隙間もなくなりいい仕事も重なってしまったりするようになる。 僕たち技術の仕事は漫才師同様自分が行かない
を使い始めてどのくらいなるか忘れたけど多分これが4つ目。 もちろん僕が買うのは、2000円前後の安もの。 ほとんど電車の中とジムでしか使わないので音質云々はあまり気にするものではない。 安物に大きな期待はしてはいけないけど、今残っているのは最初に買ったものと最近買ったものの2つ。 最初に買ったものはもう1時間も使えばバッテリーが駄目。 あとの2つはコントロールの部分とケーブルの間での接触不良。 使い捨てと思えばいいのだけど、やはり断線するにはあまりにも早すぎる。 さてこの
床屋の入り口の戸はほぼ一面ガラス。 ビニールテープを貼り、ベニヤ板を打ち付け、丸太ん棒で支えをする父を子供ながらの手伝いをする。 夜になると浸水して畳にまで届きそうになったので、平屋の我が家は家族全員で隣の大きな農家の2階に避難させてもらった。 最初は祖母に手を引かれ歩いていたが、すでに大人の膝辺りまで水があって子供はとても歩けたものじゃないので祖母におぶってもらって隣の家に行った。 隣の2階のお兄さんの布団に入れてもらってもなんだか眠れなかった。 次の朝戻ってみると、電柱
この写真同様、登ってるように見えて実は下っているという状況がやばくて、この10年20年ずっとそうだったんじゃないかな? しかしもっと衝撃だったのは、元資料がどこだったか失念したのですが、前回の東京オリンピック時の日本人の平均年齢が約29歳。 現在の日本人の平均年齢は約47歳。 この事実。 漠然と感じてはいてもこうやって具体的に数字を見せられるとやはり愕然とする。 当然寿命も伸びているわけで、社会のシステムも同じでいいわけがない。 これらの事実も急に起きたわけではなく、緩
このところ実生活において、どうも余計なことを言ってしまうことが増えているようだ。 以前と変わったという自覚はないのだけど、どうも知らぬ間に人の気分を害する言葉を発してしまっているようだ。 「お前がそんな事を言うって思ってもみなかった。」 とか、 「なかなか辛辣なことを平気な顔して言うなぁ。」 とか言われることが最近多く、頭を下げるばっかり。 昔は案外無口だったのです。 無口で根暗だと言われるのがいやで、頷きばかりではなく、少しでも仲間に入れてもらいたい、何らかの言葉を発し
それはそれは人当たりのいい優しい男だ。 まさに優男。 もう25年位前になるのかな? まだ会社もなんとかやって行けていて、学院も活発な時期だった。 そんな時に突然彼が辞めるという話が聞こえてきた。 元々は学院ありきの会社。 やがてその卒業生が中心になって作った会社が母体の学院になった。 当時僕は学院出身者としてその会社のいち技術者になり忙しく飛び回っていた。 彼は学院を卒業して以来ずっとそのまま学院の事務を手伝ってくれていた。 気が優しく人当たりの良い彼にはとても似合いの仕