見出し画像

僕にとって音楽とは何か

こんにちは。YAMAHANです。
久しぶりの投稿ということで、思うがままにツラツラと書いていこうと思います。(記事を意識するとストレスを感じるので。)

先日一回目のワクチン接種を終えたのですが、長い時間一人で家に居て、今後の人生について考えることがありました。
その中で、『自分にとって音楽とは何なのか?』と考えることがあったので、記事にしてみようと思いました。

自己紹介も兼ねてご挨拶

 僕には沢山の趣味があります。ワイン・美術鑑賞・映画鑑賞・スポーツ・食・恋愛、そのほかにも好きなことや、色々な趣味はありますが、中でも『音楽が好き』であることは間違いないと思います。

 でもなんで好きなんでしょう。リラックスできるから?無になれるから?自分でもよく分かりません。気付いたら音楽を聴いているんです。

 これまでの人生において、音楽をここまで意識したことは多分ないと思います。しかしながら音楽大学を出たり、教養を身につけた訳でもありません。(正直小中の音楽の授業は、好きでも嫌いでもありませんでした。)
ましてや楽譜なんか読めるわけもないし、電子ピアノ、ギター、トランペットをちょこっと経験したことある程度で、楽器もまともに演奏することはできません。最近やっと歴史を知るように心掛けているのですが、どうも学問的なものになると嫌な感じがしてしまいます。

 そう考えると僕は中途半端な人間だな、と思うことがよくあります。音楽を学びたいわけでもなく、聴く音楽のジャンルはいつもバラバラで、別にジャズに特化したわけでもなく、ヘヴィメタルのみ聴くわけでもない。
どこにも属さない平凡な人間なんです。周りの人からは趣味があって羨ましいね、なんて言われることもありますが、そんなことはありません。ただ考える「タネ」が増えるだけです。

 また、僕が音楽を聴くことによってメリットを得られているわけではありません。正直音楽を聴くことによって、僕は人生の時間を『浪費』していると捉えることもできます。大学の受験勉強時代も音楽に夢中で失敗したと言っても過言ではありません。(言い訳にしているだけかも)少なからず、音楽とも適度な距離感を保ち、接することが大切なのでしょう。改めて思います。

感情のままに書くとこんな感じになってしまいました。読みづらいと感じさせてしまったら申し訳ありません。

このままだと纏りがない文書になってしまうので、ここからは以下の3点に絞って書いていこうと思います。

・聴く音楽ジャンルのバラエティ
・集めたレコードどうするの?
・自分なりの結論

聴く音楽ジャンルのバラエティ

 全てとは言えませんが、僕は本当に多くの音楽ジャンルを聴くことができます。広く浅く?なのでしょうか。その時の感情・雰囲気・場面に合わせて音楽を聴いています。

 しかし「どんな曲が好きなの?」この質問は僕にとって一番難しく答えづらい質問です。
だいたい「んー何でも聴くんだよね、、、」しか言い返せない。音楽が好きなはずなのに、全然話が広がらないのが、僕自身ずっと悔しいんです。

 自分は知らず知らずのうちに、どこか見栄を張っているのでしょうか?話し相手より曲を知ってたり、昔のアーティストに詳しいからマウントでも取っているつもりなのでしょうか?
そんなつもりはなくとも、相手にはそう捉えられてしまう可能性がある。そんなことを考慮してか、いつの間にか好きな音楽を語れなくなっている自分がいます。また趣味が合わなくて「この人は違う」と判断されることを恐れているのかもしれません。

 決して見栄を張って様々なジャンルの音楽を聴いているわけでもありません。
クラッシックを聴く人が高貴で、情緒的で、センスがいい人間でしょうか?ジャズを聴く人間が自分を持っていて、オシャレで、通なのでしょうか?そんなことはないと言うことは分かっています。

 しかし、たまに心の奥底から澱んだ感情が湧き出てくるんです。音楽知識を持っていれば、知的に見られるんじゃないか?とか。知識人で魅力的であると思われるんじゃないか?とか。
良くない欲望ですよね。だからこそ振り切れず、周りにアピールし切れないのでしょう。

集めたレコードどうするの?

 1000枚以上のレコードを集めた僕ですが、この問いに関しては、自分でも答えが出ていません。「気が付いたら収集していた」という感覚で、今後どのように集めたレコードを処理していくのか検討がついていません。模索中という言葉がピッタリで、皆さんからも是非意見を頂きたいと思っています。

 僕は元々小さい時から収集癖があり、古銭や化石など、色んなものを集める癖がありました。レコードもおそらくその延長線上でしょう。

 なんでこんなに集めてしまったのか。悔いることもあります。しかしながら今後もレコードは残すと思います。売ってお金にしたり、家のスペースを確保したりできるかもしれません。でも僕にとっては良くも悪くも思い出であり、生きた足跡なんです。

別にいいんです。周りから可笑しくて笑われようが、人生において無駄な買い物であっても。

もはやここまでくると、意地でも張ってるのではないかと思う時はあります。
でもいいんです。これがなんです。

自分なりの結論

 結局僕にとって音楽とは何なのか。僕は本当に心の底から音楽が好きなんでしょうか?

 僕にとっての音楽とは、少なくとも自分を表現するため、世間にアピールするためのツールでしかないのかもしれません。でも音楽のため人生を棒に振るような心意気、勇気はありません。悲しい結論です。

 自分が追い求めた本当の趣味や、音楽の価値観はとても薄くて、脆くて、弱い。そんな自分が嫌になる時が多々あります。

 人はよく幾つかの「仮面」を被っていると言います。僕にとって音楽が好きということは、何もない自分を守るための一つの「仮面」を被っているということに過ぎません。そうやって自分を作り、表現してきた。それだけのことなんでしょう。

 結局のところ、音楽は好きではあると思います。音楽がなければここまで考えることもなかったでしょう。だからこそ音楽という存在に感謝しなければなりませんね。そして素晴らしい音楽を生み出すアーティストに心から敬意を払います。

最後に

 結論と言いながら何も纏まっていません。
まあ、明確に結論を求めてる方がおかしいんでしょう。ましてや今生きている人生に意味がないのと同じで、答えなんてないんですよね、分かっています。でもなぜか答えを求めてしまう。正解を求めてしまう時があります。

 光が見えたと思ったら消え、常に暗闇から抜け出せない感覚。ここ最近はずっとこんな感じです。

 よく他人から「考え過ぎだ」と言われることがあります。たしかにここまで考えるメリットはないのかもしれません。

 でも僕は考えることを諦めません。意味もなく考えることなど無いと思うんです。メリット・デメリットなんて僕にとってはどうでもよくて、考えることに美徳を感じる。他人からは浅はかに見えても、自分が考え抜いていれば、それでいいじゃないですか。

 また話は変わりますが、他人とのコミュニケーションにおいて、上手く発言・表現する必要はないと、僕は考えます。

現代社会において上手く発言・表現することが果たして全てでしょうか。自分を見繕うことが善でしょうか。

相手を思いやり、推測・思慮する心を持つことも十分大切だと思います。時には言葉を発せず、考えて黙り込むことも一つの優しさである時があります。

 人は考えることができる生き物です。だからこそ考えるべきなんです。死ぬまでに幾度となく考えて、改善を求めて行動する。失敗しては反省して、また考える。結果が出なくても常にこれを繰り返す。

 そして何かを求めてまた音楽を聴く。音楽を聴くことに理由など求めてはいけないのかもしれませんね。

だからこそ僕は音楽を聴き続けます。

そして考えます。

自分のために。他人のために。

ではまた。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?