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日誌「『行方不明展』を見てきた」 #1213

“行方不明”という言葉を、インターネットで調べてみる。いくつかのバリエーションがあるが《人の行った先がわからないこと。安否がわからないこと。(やや諧謔的)もののありかがわからないこと。》などだ。昨日のお祝いムードから一変して、今日は『行方不明展』を見てきた。まず最初に綴らないといけないのは、この展示会の内容はすべてフィクションであるということ。以前に綴った『イシナガキクエを探しています』を手掛けた製作者や作家などが“作った”展示だ。

内容について詳しく書くことは難しいが、フィクションながらハッとさせられることがあった。異世界転生的なアニメとかパラレルワールドだとか、そういうのって基本的にこの世と変わらなかったりユニークな世界観になっていることが多いと思う。しかし、自らが別世界に行きたいと願って行けたとして、それが必ずしも良い場所とは限らない。この世の善悪がひっくり返っていたり、どこまでも暗闇だったらどうだろうか。それでも「ああ、良かったなぁ」と思えるのだろうか。

行った先がわからない。それを探す、待つ人たちの感情も様々だということも想像できた。それらは基本的に愛情やそれに近いものに帰結、または根元にあるのではないかと考える。フィクションだからこそかもしれないが「もし本人が行きたいと思った場所にいるのならばそれでも良い」という“理解”も存在しているのかもしれない。私の近くで鑑賞していたカップルがふいに「なにこれ、オチはないの?」と言った。現実に、オチはそうそう存在しない。いや、フィクションだ。

行方不明を見つめる私たち

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