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スキーマを広げる(2):クレバー・ハンス

▼19世紀末から20世紀初頭にかけて,ドイツのベルリンである馬の優れた能力が話題となりました。その馬の名前は「ハンス」。この馬の飼い主であったヴィルヘルム・フォン・オーステン(1838-1909)は馬の調教師であり,元数学の教師でもありました。

At the turn of the twentieth century, a remarkable horse named Hans was paraded through Germany by his owner Wilhelm von Osten, a horse trainer and high-school mathematics teacher. Not only could “Clever Hans” understand complex questions put to him in plain German – “If Tuesday falls on the eighth of the month, what date is the following Friday?” – but he could answer them by tapping out the correct number with his hoof.
(20世紀に移り変わる頃,ハンスという名前の際立った馬が,馬の調教師であり高等学校の数学教師でもあった飼い主のヴィルヘルム・フォン・オーステンにより,ドイツ中を練り歩きました。「クレバー・ハンス」は,「もし火曜日がその月の8番目の日だとしたら,その次の金曜日の日付は?」といった平易なドイツ語で彼が出した複雑な問題を理解できただけでなく,蹄で正確な数字を叩いて知らせることでその問題に答えることができたのです。)
(2017年度福島大学前期日程第1問より)
(出典:W. Tecumseh Fitch, The Evolution of Language, Cambridge University Press, 2010, Chapter 4)

▼このように,ハンスはドイツ語が理解できて,四則計算や分数を理解し,時刻や日付,音階も理解できると言われていました。1904年に心理学者のカール・シュトゥンプ(1848-1936)らによる調査が行われたものの,何のトリックも瑕疵も見当たらず,「本当にこれだけの能力があるのではないか?」と思われたのですが,その後,オスカー・フングスト(又はプフングスト)(1874-1932)という心理学者がその謎を解き明かしました。

▼フングストは,その場に居合わせた誰も答えがわからないようにして問題をハンスに出したところ,正答率が一気に下がったのです。実は,ハンスは人間の言葉を理解していたのではなく,周囲の人々の微妙な変化を察知して答えを読み取っていたのでした。

▼たとえば,「3+5はいくつ?」という問題を出したとします。この場合,正解は「8」ですが,ハンスが蹄で叩く回数が正解に近づくと,「4,5,6…もうすぐだ…」というように,答えを知っている周囲の人々は緊張し,姿勢や表情,息遣いが徐々に微妙に変化します。そして,ハンスが正解の「8」を叩くと,そこで周囲の人々の緊張が緩和されます。「8!おお!」と人々がホッとした空気をハンスは見逃さなかったのです。

▼このことから,「クレバー・ハンス効果」ということばが生まれました。これは,動物を使ってある実験を行う際,周囲の人々の期待に沿ってその動物が行動してしまうことです。これによって,実験の結果が歪められたものになってしまうわけです。これは人間でも同じで,被験者が実験者や周囲の人々の「期待」に忖度して行動することで,本来の結果とは異なる結果が生じてしまう可能性があります。他者から期待されると成績が向上する,いわゆる「ピグマリオン効果(ローゼンタル効果)」もその一つと言えるでしょう。

▼ハンスを題材とした英文を出題した大学の例としては,以下のようなところがあります(これ以外にも古くからハンスを扱った英文は出題されています)。

▼2017年度
・福島大学前期日程
▼2008年度
・東北学院大学[2月1日実施]
▼2004年度
・中央大学理工学部

▼なお,大学入試では出題されることはあまりありませんが,この話と関連した内容として,「ホーソン実験」という有名な実験を紹介します。これは,1927年から1932年にかけて,アメリカのシカゴ州郊外にあるウェスタン・エレクトリック社のホーソン工場で行われた実験です。

▼この実験は,職場の物理的環境が労働の効率性にどう影響するかを調べようとした実験でしたが,実は物理的環境よりも人間関係や仕事に対する感情の方が労働の効率性に大きな影響を与えていることが判明した,というものです。

▼たとえば,工場の中で,照明を明るくした場合と暗くした場合とで効率性を比べると,当初予測されていた「明るい方が効率性が上がる」という結果とは異なる結果が生じました。照明を暗くした場合でも,作業効率が上がったのです。これは,暗い照明の下で作業をする被験者となった従業員たちが「自分たちは実験に参加しているのだ」という意識を持ったことでモチベーションが上がったためだとされています。

▼これ以外にも,グループ内の結びつき方が労働効率に影響を与えることなどが見いだされ,いわゆる「インフォーマルな集団の重要性の発見」として知られています。

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