見出し画像

入試問題批評に向けて

▼河合塾現代文科講師の小池陽慈先生が次のようなツイートをしておられました。

▼以下,それについて私が呟いたことのまとめです。

入試問題の批評については,「視点」をどのように共有するかが一番難しいところではないかと思います。たとえば,何をもって「良問」「悪問」とするか,あるいは,どのような理念に沿って問題が作られ,実際にその理念にどれだけ適合しているか,といったことをどう体系化し,共有するかが問題ですね。
たとえば「単純に知識を問う問題」はたびたび悪問とされますが,仮に,ある大学が「とにかく知識が豊富な学生が欲しい」という理念をもって作問したとすれば,知識問題はその理念に沿った「良問」と言えるはずです。だとしたら「知識問題=悪問」という括りそのものを疑問視せざるを得なくなります。
入試問題の分析はとかく「実用的/教養的」,「良問/悪問」といったカテゴライズで語られてきましたが,その区分自体,ある意味,予断に過ぎないのですから,まず何より,これまで出題されてきた膨大な量の問題を集め,そこから何が見えてくるのかを虚心坦懐に考える必要があるのではないでしょうか。
手前味噌で大変恐縮ですが,#入試問題出典分析 というタグを使って毎年呟いているのも,大学入試問題の出典を並べてみたところから思いがけず見えてくるものがあるのではないか,と考えてのことです。

▼これまで,入試問題の分析について,学術的な蓄積はあまりなされてこなかったのではないか,と思います。そういえば,先日,このような本を買いました。

▼東北大学の倉元直樹先生が中心となり,大学入試そのものを科学的に研究する「大学入試学」を設立する必要性を説いた本です。この中で,入試問題については「入試ミス」についての分析がなされていましたが,入試問題の内容そのものの批評については特に言及されていませんでした。

▼私は以前から「入試問題は大学が受験生に対して自らの主張を最も効果的に行えるメディアである」と主張してきました。入試問題を分析することで,大学がどのような力を受験生に望んでいるのか,どのような学生を欲しているのかが顕在的に,また潜在的にも伝わるためです。

▼ただ,入試問題そのものを批評するということは,その大学そのものの方針を批評することにも繋がります。大学側,とりわけ出題者がそれをどう受け止めるか,という問題も生じるはずです。また,その分析を誰が行うのか,という問題もあります。大学の教員,高校の教員,予備校・塾講師が垣根を越えて連携することも必要でしょう。では,誰がそれを取り仕切るのか…?考えねばならないことはまだ,いろいろあります。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?