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落合陽一「 Digital Nature - 計算機自然 」の考えを整理してみた件

ChatGPTをはじめとした大規模言語モデルが,革新的に対応範囲が広く精度が高くなり,日々性能が向上し高度な活用ができつつあり,AI活用が単なる流行の遊びではなく生活の一部として活用されようとしています.

落合陽一さんが塾長であるオンラインサロン「落合陽一塾」では,昨年から月一のオフ会でChatGPTだけでなく,Midjourney,Stable Diffusionなどなどにサロンメンバーも一緒に手を動かし,生成して,感動の連続を体感しています.

それだけでなく,塾内のメンバー間でも教え合い,学んで,更なる感動が日々生まれています

落合陽一さんはChatGPT-4の登場以降,ひたすら触り続けており,新たな気づきを塾内にシェアし「KNDDKR!(感動できる!)」と連呼しています.

そもそも,落合陽一さんはデジタルネイチャーという概念を提唱しており,物化する計算機自然を思考し,研究やアーティストとして作品をつくるだけでなく,DJ / VJプレイもします

これは一連のコンテクストなのですが,活躍が多岐にわたることで,天才・優秀すぎる・スゲェ特殊な人などと形容されている気がします.

今回は過去の講演の内容を抜粋し,どういう考えで研究者・アーティストの活動に取り組み,「喜びを共有しよう」という発言に至っているのかをまとめます


デジタルネイチャー - 計算機自然-

人・モノ・自然・計算機・データが接続され脱構造化された新しい自然

落合陽一さんは「デジタルネイチャー - 計算機自然- 」という考え方で研究や作品活動をしています.

Nature → Mankind → Digital Nature

デジタルが身体性の領域までいきわたると,ちがう「自然」が現れるのではないか?という思想に基づいており,コンピューターが人間に新しい「自然」を作ると,この世のあらゆる原理原則は変化し,人間観も自然観も文化芸術も科学芸術も変わる.その観点で,研究したり,作品をつくっている.よって,時間軸や価値観がズレている時がある.

研究者:落合陽一としては前向きにデジタルネイチャーの研究をしている.
作家としては後ろ向きに人類がいなくなったという事を仮定し作品をつくっている為,視点が異なる

地球上の生物資源の量

地球上の重さで,植物が450[Gt C](ギガトーンカーボン)ぐらいあるが,人間は0.06[Gt C]位で,人間はすごいちっちゃい微々たる存在(ウィルスの1/3ぐらい)である.

世界のスマートフォン販売数(2007-2021年)

スマートフォンはどのくらいあるのか?
2021年、世界で14億台出荷している.
人類は2,500g-3,500g,大体3キロ.
地球上に1.4億人ぐらい存在しているので,毎年14億台ぐらい製造されているスマートフォンの方が地球上で重く,この星はもはや計算機の星に近づいている.

スマートフォンにはカメラが3つ以上(後ろに3つ.表に1つ)ついており,これは結構重要な観点である.

あらゆるものがソフトウェア化しており,我々の机の上のほとんどのものがソフトウェア化し,質量性のないものに置き換わっている.
そう考えると,我々の机の上にはノートPCかタブレットPC,スマホと鍵ぐらい.
2014年ぐらいにそうなってたので,約10年前からあまり変わっていない.

なので,落合陽一さんは「質量性のないアートは何だろう?」など,質量と非質量の間が重要なテーマになってくる.

六本木ヒルズの展望台の作品.
地平線は人間の概念上の線であり,その上に大きい透過型ディスプレイで線をひいたり蝶々を飛ばした作品.

光量が高い大きなディスプレイにデジタルデータをのせると,我々の身体性のレベルでデータと直接対話でき,太陽を表示すると反射だけは太陽ぽく見える.

実は,量は質を変えるので,身体性の問題は表示できる領域の問題なのではないか?と考えることができる.

「 物化する計算機自然 」という視点

胡蝶之夢:人生のはかなさ

物化とは,昔,中国の荘周(荘子)が,ある日,夢を見ていると自分が荘周なのか,蝶々なのかわからなくなってきたという発言をした.荘周が夢で蝶になったのか,蝶が夢で荘周になったのか区別がつかなくなったが,必ず区別が存在する.万物の変化とはこういうこと.

そう考えると,デジタルネイチャーが来るのであれば,
我々は瞬時瞬時にちがう本能をとるし,カタチが変わっていくのではないか?
逆に,カタチが変わりきらなかったものに,人間性が宿るのではないか?
と,落合陽一さんは興味を抱いている.

侘茶の父:千利休と長次郎の器

メディアアートを取り組むとき,お茶の事を考えながら作っていることが多い.

侘茶の父,茶の湯を大成させた千利休.
千利休の創意に基づき茶碗を生み出していたのが長次郎.
この写真は,落合陽一さんが撮影した長次郎の器(約500年前のもの).

茶とメディアアートの共通点

茶の湯でメディアアートを説明すると,主催者である亭主は茶室自体は作らない.だが,器を作ることもあれば,茶さじ(ティースプーン)は自身で製作し,掛け軸も紙の素材から選別して作ったりする.

そう考えるとモノの取り合わせ,メディウムの取り合わせで表現するのが茶とメディアアートの共通点で作品をつくっている.

ガンプラとガンプラのランナー

この茶室は,ガンプラのランナー(プラモデルのパーツが付いた板状のブロック)の余った枠の部分で作っており,

茶文化に見られるサスティナビリティの性質を表現

人工物からネイチャーが見え,影絵が木洩れ陽のように出てくる.

侘び寂び

複雑さと単純さの間の不安定さの反復を通じて自然に向かう美しさ.

多くの人は,コンピューターの外で,庭とか数年風化させることで作ってきた美学であるが,落合陽一さんをはじめとしたコンピューター研究者はコンピューターの中で何度も何度も計算させることで見つけることができるのではないかと取り組んでいる.

地球に存在しない素材をコンピューターによって生成,紫色のエリアがデジタルネイチャー.

研究者:落合陽一としては,3Dプリンターや数式で定義したり,

作っている.

 質量と非質量の間

落合陽一さんのバックグラウンドはコンピューターグラフィックスだが,3Dプリンターやロボット,ビジュアルで作ったりしない領域に,質量はないけどカタチがあるデジタルネイチャーなものがあるのではないか?を常に探している

空中に触れる映像や,

モノを空間に浮かせてカタチを作るのは計算で出来る.

計算機自然のアウフヘーベン的定義

そこに面白い研究領域があるのではないか?と考えている.

SINIC理論

新しいネイチャーの話しは,オムロンの立石一真氏が作った「SINIC理論」.1970年の大阪万博で日本未来学会という学会で発表した未来予測理論だが,50年前の予測は正しい.

最後,自然社会で終わっており,自然でありながら社会でもあり,社会でありながら自然でもあるという状態

自然社会の中から,「社会」という単語を取り外すとデジタルネイチャーになる.そう考えると,落合陽一さん自身の考えは,自然社会の次のフェーズになる.

そのフェーズから振り返り「人類は手でモノを作ったよね〜」と懐かしさを覚えながら,作品をつくっている.(西暦6000年ぐらいから今を見て作品制作しているという視点)

研究者としては前向きに,作家としては後ろ向きの時間軸でモノを作っている

GPT-4でもっと物化する計算機自然

莫大なコンテンツと,莫大なデータ解析が起こって,莫大なデータ解析を説明する間もなく,次のデータが走る.
ものすごいスピードで変化するので,今の世界理解では追いつかない
毎日,ちがう方法が出てくる.

シンギュラリティが実感できる世界になった.
そもそも.シンギュラリティは特異点の話であり,人間の技術進化が追いつかなくなるというより,自然の側が賢くなって,自然の進化速度を超える

人間 対 自然 の関係から 計算機 対 自然の関係

自然の方が人間より賢くなってしまった
人間が追いかけても自然は見つからない
人類は衰退した
ここから先は楽しむしかない
人間は思い出だけで生きていけるか

音楽関連の活動では,落合陽一さんは演出をする仕事が多かった.
だが,最近では自分自身でも演奏をしている.
変化した自然では新しい民藝が生まれ,変化した道徳倫理が生じる.

機械で画像が生成できて,音ができて,動画が生成されて…人は思い出だけで生きていけることとすごく等しいと思う.
ここから先は,楽しんで生きていくしかない

喜びを共有しようとしか言いようがない.

GPT-4による「 デジタルネイチャー 」の解説

落合陽一さんのデジタルネイチャー概念は、自然と計算機が融合し進化する新しい自然を提案しています。これにより、生死の境界を乗り越え、持続可能な物質的自然を構築することが可能になります。古代の思想や現代の技術が結びつき、デジタルネイチャーは非質量の自然も含む共有可能な新しい自然環境を形成します。AIは万能の通訳として体験を翻訳し、メディアアートは新しい民芸としてコミュニティを横断し理解を促します。デジタルネイチャーは、私たちがテクノロジーの進化に適応し、持続可能で豊かな未来を築くための新しい視点を提供しています。

さいごに

上記からGPT-4の重要性を再確認したのでまとめてみた.

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