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WBC特別編★「テンダー」のドライマティーニ@銀座

 夢のようなゲームだった。2023年3月22日、マイアミで行われたWBCの決勝戦、栗山英樹監督は9回にDHを解除し、クローザーとして大谷翔平を起用、今大会の米国チームの主将、エンジェルスの同僚でもあり、大リーグを代表する強打者の1人マイク・トラウトを高速で強烈に曲がるスライダーで空振り三振にきってとった。3-2で日本の勝利、大会優勝となった。旅先で出会った味について書いているこのコラムだが、今回は勝手に特別編(?)として、私なりに日本プロ野球の「旅」について書いてみたい。
 戦時中は敵国のスポーツとされていた野球は、敗戦後すぐ復活、プロ野球も1946年にリーグ戦を再開、1950年には2リーグ制となり、高度成長期には国民的な人気プロスポーツとなる。私が小学生だった1960年代から70年代にかけては川上哲治監督が指揮し、ONを要したジャイアンツの黄金時代で、V9を達成した。関西で育った私は両親と兄が阪神タイガースを応援しており、あたり前のこととして阪神ファンとして生きてきた。阪神が毎年ジャイアンツに負け続けたことは、私の人格形成に影響を与えたような気がしてならない。周囲にあまり多くを期待しない、自らの成功について懐疑的である、などなど?
 ともあれそのころの日本プロ野球は国内では大人気だったが、大リーグとのレベルの差は歴然としていたように思う。すこしずつテレビで大リーグ中継を観られるようになり、ノーラン・ライアンやピート・ローズ、レジー・ジャクソンなどの選手を知るようになった。こどもだった私は、彼らと大好きな江夏や田淵が対決したらどんなだろうと妄想をしていたが、日本プロ野球と大リーグの真剣勝負など、夢のまた夢、実現することのないものと思っていた。そもそも体格もプレーの迫力も一目でわかるくらい差があった。
 しかし、素人ファンの私が気づかないうちに、日本人の体格や運動能力が向上し、プロ野球のレベルもそれにあわせて上がっていた。95年野茂英雄がフォークボールをひっさげてLAに渡り大活躍。2000年になってからは、イチロー、松井秀喜、松坂大輔などが続き、1年中大リーグ中継もあるようになり、一気に身近な存在となっていった。
 わがタイガースに目を転じると、1985年に21年ぶりの優勝をした。このときは社会人2年目でいろいろと不安な私を励ましてくれているように感じた。間があいて2003年と2005年の優勝は、一人息子が小学生のタイミングにあたり、小さい男の子と父親が声を合わせて応援するというかけがえのない幸福な体験をさせてくれた。
 WBCは、2006年にスタートした。このときは王貞治監督が大きな存在感で指揮を執り、チームリーダーのイチローを要して優勝した。サンディエゴで行われた韓国との準決勝、キューバとの決勝で大興奮した記憶がある。ただ大リーガーの参加は少なく、その点ではすこし寂しかった。その後の大会でも大リーガーの参加はまだら模様というか、あまり積極的ではなかったように見えた。ところが今回の第5回大会、米国チームはMVP経験者やタイトルホルダーをそろえたいわゆるスター軍団を編成した。中南米諸国のチームからも出身の大リーガーが大挙して参加した。そして決勝に勝ち残ったのが、米国と日本、9回2アウトでエンジェルスのチームメイト、大スター2人が相対するという、まさに夢のようなラストシーンで、なんと私のこども時代の妄想が現実のものとなったのである。
 決勝前日の準決勝メキシコ戦も米国戦と同様のきびしくタフな試合だった。8回、5回からねばっていた2番手の山本由伸が打ちこまれ、1点ビハインドでさらに1アウト1・3塁、メキシコの打順は4番、ブルワーズで主軸を打つテレスというシーンで、タイガースの湯浅京己が起用された。独立リーグ経験者で、昨シーズンセットアッパーとしてブレイクしたばかりの23歳。彼がマウンドに上がって投球練習をしている間、私は顔面蒼白、心臓が飛び出しそうなっていた。ソファで動けなくなって見守っていたら、湯浅はよく腕を振って鋭いフォークを投げ、テレスを空振り三振、最少失点で切り抜けて9回の逆転劇にゲームをつないでくれた。ナイスピッチング。
 優勝の余韻冷めやらぬ23日の夜、銀座で知人と食事をする予定があった。思いたってはやめに銀座に出て、外堀通りの「テンダー」に行った。以前秋田の稿でも書いた、名バーテンダー上田和男さんのお店で、2年前にすぐ近くのビルから現在の場所に移転された。ご自分の目がゆきとどくこじんまりしたスペースを選ばれたそうだ。上田さんのドライマティーニをいただいた。ほれぼれするようなそれは見事な手さばきで、ミキシンググラスから注いでくださった。ベースはビーフィータージン、キリっとした味わいの名手の一杯、勝利の美酒にもふさわしい。
 心地よくしみる上田さんのマティーニを味わいながら、日本プロ野球のこれまで、大谷やダルビッシュのチャレンジ、今大会躍動した日本の若い選手たちの未来、それぞれの旅路に思いをはせた。
 長年12球団しかなくチームの所在にも偏りがある、チーム名からスポンサー企業名がなくならない、天然芝の球場が少ない、中途半端なクライマックスシリーズなど問題も多いプロ野球だけれど、今日だけはそれは忘れようと思う。好きなプロスポーツと、人生をともに歩むひいきのチームがある幸せをかみしめていた。

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