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「権兵衛」のきつね@京都

 井上章一さんの名著『京都ぎらい』(朝日新書)によれば、嵯峨で育った井上さんは、京都市の中心部いわゆる「洛中」の人々から田舎者扱いをされてきたとのことである。嵯峨は「洛外」だろうと。私は嵯峨からさらに山陰線で山中に分け入った丹波地方の出身だ。大学入学とともに東京に出てきたが、地方出身者同士の「出身はどちらですか?」というありきたりの会話にいつも苦労してきた。
「京都府です」というと、「ああ、いいですねお寺とか多くて」「いやいや私は京都といっても府下の丹波です」「でも京都でしょ」「・・・」というふうな流れになることが多い。「京都駅から特急で1時間、育った街には子供のころ信号は駅前交差点にひとつしかなかった」などと説明するのが面倒で「京都」ということにしておく。これを「洛中出身のホンマモンの京都人」にきかれていたらどうしよう、といつも意識していた。「そんなん京都やあらしまへん、洛外どころか地の果てですなあ」などといわれてしまうであろう。
 子供のころの休日、両親に「洛中」に連れていってもらうお出かけは、一種のハレの日であった。父親が運転するセダン型の自動車で市内に向かう。高速はなく一般道で丹波路を走り、亀岡などを過ぎて本能寺の変で光秀軍が通ったともいわれる老ノ坂峠を越えると京都市内。記憶の中に懐かしい高度成長の時代の光景がひろがる。
 お昼時に到着し、昼夜2度の外食と、大丸、高島屋などでの買い物がお決まりのコースだったように思う。いまはなくなってしまった河原町の丸善も好きだった。1食目のお昼はだいたい麺類だった。回数が多かったのが、祇園の「権兵衛」だ。父親がここのうどんをおいしそうに食べていたのを思いだす。
 いまでも京都に泊まるとよくうどんを食べる。祇園「おかる」錦市場「まるき」上七軒「ふたば」岡崎「おかきた」八条口「殿田」京都駅構内の立ち食いなどなど、どこのお店も懐かしい。そして「権兵衛」のきつね(きざみ)だ。写真のはさらにかしわを加えてもらったのだと思う。メニューにないカスタマイズなのでお願いしたとき、一瞬いやな顔をされたが(よそ者と思われたであろう)なんとか対応してもらえた。とがったところのまったくないあたたかかいおだし、そのおだしをよく吸ったやわらかめのうどん、薬味はもちろん青いネギ、人生の味かもしれないなあ。

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