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一期一会のボランティアで思い知った「また来てね」の重みについて

ボランティアをする。それはたとえ一日限りの活動であっても、たいていは無条件に「善いこと」として語られます。偽善と揶揄されることもあるけれど、それはむしろ「善いこと」と認知されていることの裏返しです。

わたしは学生の頃、いろんなNPOの現場を知ることが面白くて、いろんな団体に参加させてもらいました。もちろんボランティアを受け入れる側の団体の人としては、リピート参加者のほうが有難いに決まっています。けれど現場を見て学んでほしい、課題を理解している人を増やしたい、という理由で歓迎してくださるところがほとんどで、たくさんの有難い時間を過ごさせていただきました。

けれど一度だけ、ボランティアからの帰り道で「わたしはなんて軽薄なことをしているんだろう」とすごく悲しい気持ちになって、もとから一度きりのつもりなら、いっそ参加しないほうがマシなんじゃないかとまで思ったことがあります。

涙を浮かべながらの「また来てね」にわたしは何も応えられなかった

それは障がいを持つ方が休日に過ごすための居場所づくりをしている活動でした。近隣の福祉法人やNPO法人に関わりのある支援者がボランティアで協力して運営している場で、アート制作や演劇、音楽など、興味のある様々な活動に取り組み、余暇を楽しんでいました。

障害のある方といっても千差万別ではあるのですが、平日はデイサービスでケアを受けたり就労支援施設で働いたりするものの、休日に受けられる公的な支援はほとんどありません。(事実認識に誤りがあったら、すみませんが教えて頂けると有難いです)

ご家族が毎週末家の中でケアし続けると、ご家族の負担ばかりが大きくなってしまいます。また、ひとりで外出することが難しい方もいらっしゃり、家に籠もりがちになってしまいQOLが低下する可能性もあります。

そういった背景から余暇をみんなで楽しく過ごそうというコンセプトで運営されている場に、単発のボランティアとしてお邪魔させていただきました。ボランティアという言葉を使いながらも、ほとんど見学者のような立ち位置です。

いろんな方がいらっしゃいました。車椅子の方も、おしゃべりな方も、俯いてじっと耳を澄ませている方も。支援者さんも、大学生とほとんど変わらない年代から50~60代までさまざまで、何より利用者と支援者の垣根を感じさせない雰囲気が印象的でした。みんなで楽しむことを大事に運営されていたんですね。

発話できない人が支援者さんの手のひらに指で文字を書くことで意思を伝える手書き文字という職人技を知ることもできました。いや、これは本当にすごいですよ。ほとんど話し言葉と同じスピードで意思表示をされていました。

そういった塩梅で楽しく体験させて頂いたわけですが、帰り際、ボランティアも含め一緒に余暇を過ごした人たちで挨拶をしました。その時、ある利用者の方が涙を浮かべながら、「また来てね」と声をかけてくださったんです。

その瞬間、わたしはすくんでしまい、心の奥を見透かされたような気持ちになりました。なんて返事をしたのかあまり覚えていません。この人はきっと知っていたんですよね、今日は一緒に楽しく過ごしたのに、このボランティアはもう次は来ないんだって。見学させてもらうためのボランティアという、「受け取るだけ」の一面を思い知らされた体験でした。

消費者のままで終わらないことがボランティアができる最大の誠意

単発のボランティアや視察といった一期一会の関わりを否定するわけではありません。教育・啓発という面から見ても、優れた現場の実践を知る人を増やすことで理解を促進することは重要です。

その反面、参加者の学びはあくまで支援者の献身によって成り立っているということを忘れてはならないと思うのです。

人ひとりができることには限りがあるので、出会ってきた現場すべてにお返しをすることは難しい。

わたし自身としては、誠意を持ってこの体験から学び、自分の立ち位置でできることを愚直にやり続けることで、別の誰かに還元し続けよう、と思っています。

#ボランティア #視察 #一期一会 #福祉 #NPO

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