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記述問題との距離感

今回は、記録をまとめることが後回しになっていた記述対策について、私自身の経験と、あくまで個人的に思う所ではあるが書いておきたい。

なお、本記事の前提として、択一について考えた下記の記事(有料)で触れていますのでご興味がありましたらご購読ください。



大栄での学習

…正直、記述対策がどんなものだったかという記憶がほとんどない。当時の教材はもう手元になく、何となくだが、過去問に似た感じのオリジナル問題をただ解いていくだけの内容だった気がする。
雛形集的なものもあったかどうか覚えていない。
つまり最初の二年間は、記述対策に関しては記憶にも残らないような学習しかしなかったということだ。

初学者であった当時は、とにもかくにも全科目を一周するのに手一杯、記述についてはおそらく問題の雰囲気を知る程度で、答練生になった二年目で本格的に問題を解くようになったはずだが本試験でまもとに太刀打ちできるレベルには到底届かなかった。


伊藤塾時代

続く伊藤塾では蛭町先生の原理原則や過去問の手口を知る講座などを消化不良ではあれど受講したことで、まず記述問題の前提である思考法を知るという初めての経験を得られた。

受験四年目あたりからは、本格的に答案構成力養成答練を受講し始めた。
同講座では、山村先生独自の答案構成で視覚的に問題をとらえやすくするというやり方を学んだ。
後で触れる蛭町浩先生、山村先生の師でもある蛭町先生は、常々「問題を引きつけて解く」という考え方を提唱されており、山村先生の答練講座はそれを具現化したものだと認識している。

また、不登商登ともに、使用されている問題も質の高いものだった。
特に商業記述は、作問者の杉山潤一先生が繰り出す箱根細工のように緻密で美しい役員トラップ、一つ間違えると時間差で就退任はおろか機関設計までドミノ倒し的に連鎖する恐ろしい罠に何度引っ掛かったかわからない。
けれどそのおかげで、大栄時代に染み付いた会社法と商業記述への苦手意識がかなり払拭され、パズル攻略のような楽しさをおしえてもらったように思う。

(蛭町先生は、記述式をゲームだと常々仰っていた。こと商業に関しては、正しい図形を完成させることを楽しむような要素があり、記述式を好きになるために贈られる先生から受験生へのエールなのだと思う)

ただ、本試験では結局、会社法の知識が直前期でもぐらついた状態だったことが命取りとなり令和2年は役員ミスで撃沈、総合1点落ち。
不登法は枠ズレその他で結局、半分程度しか点が取れない結果に終わった。


答案構成力養成講座では、記述問題への向き合い方について教わったものは多く、それなりに力も付いたと自分では感じていたのだが、本試験の結果からの自己分析も含め、少しずつ考え方が変わってきた。

思えば、まだまだ、現場で実際にどう動くか、どう処理するかの手順を確立できていなかったのだろう。

さらに言えば、昨年と今年の記述問題を振り返ると、なまじ知識を持っている受験生がむしろ苦しめられるという傾向にあったように思う。
さすがに何も考えずに解けばいいとまでは言わないが、ある程度素直に処理した方が記述に関しては有利に働くことがあるという意識は持っておいた方が良いと言わざるを得ない。


蛭町先生と平林先生


伊藤塾で行政書士講座を担当されているヒラバこと平林勉先生のブログから、司法書士試験にも役立つ情報を得られることに数年前に気付いた。
(ブログ自体はここ二年ほど更新されていない)

平林先生が受け持つ、司法書士受験者向けの行政書士試験対策講座で、私は令和元年度の行政書士試験に一回で合格できた。3か月の準備期間で合格できたのは、合理的かつ的確でわかりやすい先生の講義と出題予想に依る所が大きかった。

その、ご自身のブログの中で平林先生はまた、蛭町先生の持論、記述問題のみならず、法律および資格試験を受験するにあたっての根底として持っておくべき姿勢についてもたびたび触れられていた。

平林先生のフィルターを通して語られる蛭町先生の教えは、また違った角度で新鮮に心に沁み入ってくる感じだった。

蛭町先生は、言わずと知れた『道』、つまり認定考査について書かれたあの三部作の著者(坂本龍治先生との共著)である。

その入門編では要件事実についての解説をされているわけだが、先生の記述問題についてのお考え方の根底にも、実体判断から法的判断に至るプロセス、民法から不動産登記法への変換過程についての思考法がある。
それが、伊藤塾で私が学んでいた頃の「原理原則」の講座だった。現在はまた違った感じの名称と内容になっているようだが、法律家としての司法書士、その受験に際しての心構えというか、姿勢のようなものを持つべきだということを、
蛭町先生は問うておられた。

今年の不登法記述問題、現場での私の思考はこういうものだった。

あの、第3欄の4枠目、私は迷った末に形式面から順位変更を選択した。

問題検討時のメモには順位放棄?の文字


本試験後、順位変更か順位放棄かで受験界が揺れ、伊藤塾だけが解答例として「順位放棄」を提示した。

それについて、程なく、答案構成力養成答練の不登法問題作成を担当しておられる筒井一光先生が見解を出された。

続いて、補足として蛭町先生もご自身の見解を示されている。

このあたりを、自分ももっと受講生時代に勉強しておくべきだったと今では悔やまれる。
本試験当日は自分なりに精一杯やったし、結果的に筆記には合格できたけれど、放棄か変更かの選択を迫られた場合にどういった理由からどちらを選ぶべきだったか、についての思考過程はお粗末だったと言われても仕方ない。

結局、法務省が発表した「(記述式問題)の出題の趣旨」からは、どちらが正答かわからなかった(あえてわからないように文言がボヤカされていた)ので、議論の決着は棚上げ状態のままではあるが。

しかし、これから私自身は新しいステージに入るにあたり、暗記中心だった受験勉強から意識を切り替え、法的思考力を育てるような訓練を積み重ねていかなければならないと身が震える思いである。


LECの答練


話を戻す。

受験9年目のLECで一年間だけ答練を受けた中で、根本先生のメンテナンス記述と荒川秀一先生の頻出論点の講座を受講した。
メンテナンスはその名の通り、年内の知識の再確認といった形のシンプルな内容だった。

荒川先生の講座は、基本的で重要な論点について丁寧に解説される良い内容だったが、どちらの先生も、記述問題特有の形式面への対策、後で触れる姫野先生の「解法」的なものを使って記述問題に対峙するというスタンスではなかった。

その意味では、確かに量ではかなりのボリュームをこなした感はあったが、どこかで、記述対策として自分が本当に求めているものとは違うという感覚は拭えないままだった。

この年、私の本試験の記述成績は不動産登記26.5点に対し商業登記法9点という結果に終わった。
不登法は問題に救われたところがあり、逆に商業は役員と株式、つまり択一論点で躓いたのが敗因だった。

(念のため補足…択一対策については、何度も書いてきたがLEC根本先生の講座のおかげで最終的には61問取れるに至った)

択一の実力が、たとえば公開模試等で午前午後いずれも30問あたり取れるレベルになってくれば、記述は付随的に実力が上がるので、闇雲に問題を解くやり方はあまり効果が上がらないと思う。
もちろん、初学者の頃から暫くの間は雛形や基本問題の繰り返しで相応の基礎力を付けてからの話だとは思うけれど。

これも過去記事で既に書いたことだが、知識と経験の多さだけが本試験で武器になるわけではないということが身に沁みるようになってきていた。


最終章としての姫野記述

結局、長年やってきて思うのは、記述対策として最終的に私に必要だったのは、方法論に加えて、本番でパニクらない、どんな問題でも普段通りに体が動くようにするためのツールだったように思う。

姫野先生が提唱する「解法」に最初に出逢ったのは、YouTube上での無料講義、その年の本試験問題を、先生自らが編み出した解法で実際に解いて見せるという講義の中でだった。

先生の解法は、もちろんここでその内容を紹介するわけにはいかないが、いくつもの「工程」で問題をさばいていく、という意味で先ほどの過去記事ではアジの開きに例えているが、姫野記述の工程は「料理」に似ていると思う。
この段取りで、この作業をやる、という最も効率の良いやり方を、先生は長年の試行錯誤で作り上げ、現在も改良は続いているらしい。

本試験の場で、「何があっても驚かない」「普段通りにやる」というのは、心掛けていても実際には本当に難しいものである。
そのためには、驚いたりパニックになったりする「いとまを自分に与えない」ようにするための何かが必要だ。

今年の試験で、脳が焦りや絶望でビジー状態になる前に、体が普段通りに動くビジー状態に入っていれば、無駄な時間を過ごさずに済むという体験をした。
先生が、「7月第一日曜日に皆さんが泣かないように今泣いてもらう」と仰っていた意味は、こういうことだったのかと、後になって身に沁みた。

こうして最終的には姫野記述が私にとってはハマった形となったが、蛭町先生、山村先生その他の先生方から記述問題についてこれまで学んできたことが根底にあってこその結果だったということは強調しておきたい。

過去問の手口、試験実施元のやり口をとことん研究して逆手に取るという観点から見ると、蛭町〜姫野ライン的なルート(あくまで私の中での)を歩いてきたのは良かったのだと今では感じている。

択一対策と同様に、「私はこの記述対策講座で」受かりました、とは安直に言えないのは、そういうわけだ。


他人の「合格体験」の危険性

択一も含めて、この試験の合格体験談などを聞く読む際には、いろいろと気をつけるべきことがある。

先ほどの話と繋がるが、「◯◯で受かりました!」というのは、特に複数回受験してきた人の場合は要注意である。
「合格した年にたまたま使っていた教材」というだけかもしれないからだ(予備校の合格体験記なら尚更である)。

現に私も、目下対策中の口述試験の虎の巻をゲットするために各予備校の窓口(サイト上の)にアクセスしたが、某校からは必要入力事項として講座利用の感想を求められた。
そこの予備校だけ使ったわけではないのだが、これが再来年向けのパンフレットとか体験集とかに合格者の声とか銘打たれて偉そうに載ってしまうことを考えると何だか後ろめたい気持ちでうつむきながら送信ボタンをポチッとした。

自分の体験からしても、その人の「それまでの学習履歴」を含めて評価しないと、いや、したとしても、本当にその人にとって何が良かったのかは、実際のところわからない。

突き放した言い方になってしまうが、受験生それぞれが、失敗も含めてあれこれ試してみないと結局はわからない。
全く同じ学習ツールを使っても、当然ながら人によって結果が出るタイミングは違う。
自分と似たような悩みを持ちながらそれを克服した合格者の体験は、もちろん私も部分的にはいろいろ取り入れてきたが、そうした合格者の方々と同じように効果が出たわけではなかった。

有用だと思われるのは、予備校や信頼できる講師の先生に受験相談をすることだと思う。
一人の合格者の体験談より、多くの受験生を見ている予備校のデータ蓄積量を利用しない手はない。これまでにも書いてきたが、予備校は使ってナンボだ。独学を貫くのが費用面等で致し方なしという事情のある方はともかく、使えるなら使った方が早い。

予備校に相談してもカモられるだけではないかという方もいるだろうけれど、必ずしもそんなことはなくて、自社の利益を度外視して客観的にその人にどういう学習スタイルやツールが合っているのかをアドバイスしてくれる先生もいる(予備校との契約関係にもよるかもしれない)。

自分自身を客観的に見ることは難しい。信じてきたやり方を変えることもまた難しい。私自身、頑固な性格ゆえ予備校を変えることにもなかなか至らなかった。

しかし、そんな私を程良い距離から見守ってくれている方がいて、それとなくメッセージを発してくださっていたことが、自分から新しい環境を選択するキッカケになった。自分の状況をふと、客観的に見ることができれば、蛭町先生が仰る「メタ自分」の視点を持つことができれば、自ずと道が開けることがあるのかもしれない。

そして、そのメッセージやアドバイスをくださった方自身も合格者の一人だったことを考えると、試験に受かった者から現役受験生へのアプローチのやり方というのはなかなかにセンスが問われるものだとも思う。

「受験勉強」を終わるにあたり

これまで書いてきたことは、いずれもあくまで資格取得のための「受験」勉強について、自分自身の経験から感じたことや考えたことばかりだった。
今後は、目下の口述試験を皮切りに、これまでとは違った形での勉強をする必要が出てくる。簿記の勉強について前回書いたような、YouTube学習などでは到底対処できないような奥深い世界だ。

相談に乗ってくださった先輩合格者(現在は実務家)の方から、「法律の勉強は合格してからでもできる」という言葉をいただいたことがある。
司法書士資格を手に入れるための勉強も、むろん法律についての勉強なのだが、それ以前に「受験勉強」だという割切りが必要だ、という文脈でのアドバイスと受け止めて、私はこれまで歩みを進めてきた。

もちろん、受験生とて実生活を営んでいれば、たとえば相隣関係で現実のこういう事例には法律をどう当てはめれば良いのだろう?などという疑問が起こる場面はある。そうした興味は受験のための勉強へのキッカケになる側面もあるが、深入りは不要だ。
法律を「使いこなす」ことは、実務に入れば当然必須のスキルにはなるが受験勉強には必要ない。

記述問題への対策を考える上では、択一の知識をある程度「使いこなす」ことは求められる。
しかし法的判断はもちろん大前提であり重要だが、それと同じく、あるいはそれ以上に、本試験の時間枠の中で「どう処理するか」についての戦略の有無か勝負を分ける。
答案作成上の注意事項の、テニヲハまで気を抜かず、答案用紙のどの枠に何をどこまで書くかの記載を求められているかの指示を守れるか、その心積もりが事前に準備できていなければならない。

法律の知識を他の誰より深く広く持っていたとしても、「試験」をどう料理するか、どう動くかについての準備が足りなければまともな答案は作れない。最終的にはその両方のバランスが物を言うのだと思う。ある意味、受験に勝つためのあざとさがあるかどうか。

しかしこれからは、そうした、いわばあざとい勉強とは一線を画した態度で「法律」に真摯に向き合うこと、蛭町先生の教えの所でも触れた、自問自答により法的思考力を改めて訓練していくことが必要になってくる。

その第一歩として、これまで学んできたことをおさらいしつつ、自分の言葉としてアウトプットする力を試される場が再来週に迫っている。


次回は、今年の本試験の成績表が届いてから最後の総括をし、いよいよ筆記受験記録の最後としたい。



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