つらい時ほど神は人を救わない

趣旨

私自身は、あまり神や仏を信仰していない生活をしています。
でも、人生に悩んだり助けが欲しい時に聖書(というよりキリスト教的考え方)が役立ったので悩んでいる人の助けになればと考え書き記します。

前提
神は人を救わない。悪魔は悪い方向に人を誘う。

・神
なぜ神が存在するのかはわかりませんが、神は人を救いませんし助けません。
しかし、自堕落にならずちゃんと前を向いて歩く人には優しいです。

・悪魔
誰にでも心地よく自分だけが快になる状態へ誘う存在。
なぜ悪魔が存在するのかはわかりませんが、人を怠惰や劣情、怒りや嫉妬など主に負の感情を引き出す役割があります。

・キリスト
みんなの友達。
自堕落になっても落ち込んでても隣にいてくれる人。
進んで悪魔と仲良くする人を見守るだけの存在。

ここから本題

1.キリストはそばにいてくれる
思い悩んだり塞ぎ込んでいたり、立ち止まったり*重い足を引きずっていたりする時にキリストは常に一緒にいてくれるという考え方があります。

*「重い足を引きずる」はつらい状態であるにも関わらず立ち止まれない状況を指します。

キリストは友達なので、常に横にいます。
立ち止まっていると自分で感じていても実はキリストが背負って前に進んでくれていることもあります。
つらい状況を脱したとき、キリストがそばにいたことがわかります。

2.神の接吻
前提に書いてますが、神は助けてくれる存在ではありません。
そして、神からの接吻はつらく耐え難いものです。
しかし、神の接吻はクリアできれば自分の価値が上がることが多いです。

3.思い悩むな
マタイによる福音書6章25節-26節
「25それだから、あなたがたに言っておく。何を食べようか、何を飲もうかと、自分の命のことで思いわずらい、何を着ようかと自分の体のことでおもいわずらうな。命は食物に勝り、体は着物に勝るではないか。
26空の鳥を見るがよい。蒔くことも、刈ることもせず、倉にとりいれることもしない。それだのに、あなたがたの天の父は彼らを養ってくださる。あなたがたは彼らよりもはるかに優れたものではないか。」
さすがマタイさん、全くその通りですね。
友人が教えてくれたのですが、神への祈りの仕方で「私を通ってあなたの御心がなりますように。」という祈り方。
高校の時にこの祈り方に遭遇したので愕然としてのですが、要は私自身は神が行おうとしている計画の一端にしか過ぎないのです。
それ以降、私の初詣や神社に行った時のお参りの内容はこれだけです。
ちなみに好きな神様は八百万であれば天照です。
インド神話ではガネーシャ、北欧神話ではヘイムダルが好きです。

4.牧者
人を羊に例えられることが多いです。
キリストが羊飼いと言われるのも、詩篇などで「主は私の牧者」というセリフがあるのもそのためです。
羊飼いという感覚は人にとって理解しやすいかと思います。
自分が自由に生活していても構わないが範疇が存在することを暗に表しています。
やってはいけないことが存在するが、範疇のなかなら許されるというわけですね。
内か外かわかりませんが、範疇の外に行こうぜ!っていうのが悪魔の仕事です。
ちなみに、英語でブラックシープ(Black Sheep)は仲間はずれとか評判の悪い人を指します。

5.愛
結婚式でも使われる部分ですね。
コリント人への第一の手紙13章4節-8節
「4愛は寛容であり、愛は情深い。また、妬むことをしない。愛は高ぶらない、誇らない。
5不作法をしない、自分の利益を求めない、苛立たない、恨みをいだかない。
6不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
7そして全てを忍び、全てを信じ、全てを望み、全てを耐える。
8愛はいつまでも絶えることがない。しかし、予言はすたれ、異言はやみ、知識はすたれるであろう。」
雑に解説しますが、人を愛するということはその人を「受け入れ、妬まず誇らず、不作法をせず、自分だけの利益をもとめず、いらいらしたり恨んだりせず、ただひたすらに耐えて信じて望む」ということです。
すごく難しいと思います。
ちなみに、日本人は愛の定義がない気がします。
まるで、好きの上位互換のような感じ。

終わりに

初めて書いたので疲れました。
読んでくださってありがとうございます。
ただ思ったことや感じたこと書いただけなので、クレーム入れられても何もできません。
クレームに関しては、私とは違う人生を歩んでるんだな程度と思うようにしてます。

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