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5章 人生とは(2)

不安・恐れについて

変化は怖い

変化は危険も一緒に連れてくるときもある。
だから、人にとって変化は恐怖を感じて当然です。
むしろ恐怖を感じないことが原因で危機に鈍感になり、命を落とすことの方が自然界では多いです。

けれど、科学技術の進歩は昔のように10年や半世紀をかけて緩やかに社会を変化させるのではなく、3年から5年の短い期間で社会を変えていきます。
今はもっと早くなっていて1年で大きな変化をしているように感じます。

これはとても大きな変化です。
多くの人にとってストレスでしかないでしょう。
けれど、物質的な豊かさを手に入れることが人間社会では大きな価値になるので、この大きな変化が止まることはないのでしょう。
ということは、人間が進歩や進化をやめることがない限りは新しい道具を使う社会にて適応しないと、その社会のコミュニティからは省かれてしまうということなのではないでしょうか。
もちろんその道を選ぶ人もいるでしょうが、そう多くはないでしょう。

科学技術や道具の進歩、進化は何のためにあるのかというと、人間がより便利に自分の人生を豊かに生きるためだと思うのです。
この「豊かに」というワードに「自己実現」という意味を含むのであれば「自分らしく幸せに生きる」ということなのだと思います。
つまり、変化を受け入れ適応することでより自分らしく生きる可能性が広がり、その分より幸せに生きることができる可能性が高まるということです。ただ、あくまで道具は道具でしかないということは忘れてはならないと思います。

違いは怖い

一人ひとりが自分の物差しを持ち、自分の人生を幸せに生きるということは、他の人と違いが明確になるということです。
他の人と違いが大きいことは、そのコミュニティからは省かれてしまうリスクがあるため恐怖になります。

「なぜ服を着るのか」の章でも話したのですが、人とは仲間意識を持つ生き物です。
違いはそのコミュニティを壊す可能性があるので排除しようとします。
しかし、コピーのように本当に「全部一緒」が良いかというと個人としても認めてほしい承認欲求があるため、個性(違い)を求めます。
この時の違いは自分という名札程度でも良いのです。
それよりも、一人でいる恐怖の方が勝るため、集団の中にいることで安心感を得ようとします。

ところが、自己実現を目指す人が多くなると集団の密度が薄くなります。
個としての自分に意識を向けることは自分の人生を幸せに生きるためには必要ですが、目をそむけたくなるような自分とも向き合わなければならないということです。
集団の中では他の人に意識を向けることでごまかしていたこと、それができなくなるということです。
それはとても苦しいし怖いことでしょう。
けれど、SNSなどの個の価値観が問われる道具を使いコミュニティを創っていくためには、乗り越えなければならない壁だと思います。
どうしても、一人ひとりが個人の携帯電話などのディバイスを持って使っていくということは、今までの一対多のコミュニケーションではなく多に向けた一対一のコミュニケーションになるのです。
これを知らずに使用すれば、情報の受け取り方を誤った人が過剰なストレスを受け、それを発散するための事件や事故が多発する可能性が高くなります

このことは先ほど述べた通り、「新しい道具を使わない」という選択肢を多くの人がとらないということは起こりにくいので、この問題は解消しなければならない社会課題なのだと思います。

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