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【4】進化心理学は「科学」なのか (3) まるで当てにならないわけじゃない

昔からよくある批判だった

 前回と前々回で、進化心理学はやや胡散臭く見られがちであり、これにはそれなりの事情があることを述べてきた。
 実はネット上で、明確に「疑似科学」という言葉を使って進化心理学を批判している記事は私が調べた限り1件しかない〈1〉(まさに前回・前々回でとりあげた「進化心理学から考えるホモサピエンス」についての書評記事である)。

 ただ、この記事についたコメントやその他ネットで時々みかける進化心理学批判を総合すると、批判の要点はだいたいこの「疑似科学」っぽさ、つまり「科学的根拠があるかのように語っているが、実際は検証も反証もできずどうとでも言える感じ」に集約されるように思われ、話のとっかかりに使わせてもらった。今回はこうした批判について私の考えを述べておきたい。

 進化心理学は、本場のアメリカではその萌芽となる考えが登場した1970年代後半からずっと激しい批判にさらされてきた。
 最大の批判は「人間の心理や行動に生物学的・遺伝的な基盤があるという考えは、世の中にある差別や不平等を肯定してしまうことになる、許せない!」というものであり、もちろん進化心理学者はそれに粘り強く反論し続けてきた(この批判については今回は置いておく)。

 次によくある批判が、今問題にしている「人の心理がどう進化してきたかなんて検証も反証もできないじゃないか」というものであり、当然これに対しても繰り返し応答がなされてきた。

「歴史」ではなく「機能」を解明する

 進化心理学者のロバート・クルツバンによると、これは誤解に基づく批判なのだという。彼はこう述べている〈2〉。

多くの人々は進化的な仮説を(中略)歴史に関する仮説と考えてしまいます。(中略)そうではなく、改めて言うと、これは何度も明言されてきたことではあるのですが(中略)進化心理学の目標は、ヒトの認知メカニズムの機能に関する仮説を生成することにあります。

 進化心理学は、人の持つ心理特性について「それがどのように進化してきたのか」という「歴史」の解明を目指していると思われがちだが、実際はそうではなく「それにどのような生存上・繁殖上の利点があるのか」という「機能」の解明を目指している、ということのようだ。
 
 例えば、過去の人類について言えば、目や心臓だって化石には残っていない。そのため、それらが過去数百万年どう進化してきたかという「歴史」を正確に知ることはできない。
 しかし、今我々が現に持っている目や心臓がどのような「機能」を果たしているかについては、それ自体を観察したり他の器官との関わりを調べることで、ほぼ確実なことが言える。

 同じように、人の持つある心理特性についてもそれが化石に残らない以上、その進化史を正確に把握することはほぼ不可能である。しかし、そうした特性にどのような潜在的な機能があるのかについては、現代に生きる人々を対象に調査や実験をする、他の動物の生態と比較する、などして推測することが可能ではないか。これが進化心理学の本来の発想であるようだ。そして、そうした機能的な観点からであれば色々と検証のしようはある。

「継子殺し」の研究

 一例として、進化心理学の創始者的な存在でもある2人の研究者、マーティン・デイリーとマーゴ・ウィルソン夫妻による、家族間殺人の研究があげられる。
 進化論的には、義理の親は継子に対して、実子ほどには投資をしない傾向があることが予想される(「投資」には、献身的な世話や教育、経済的な支援など様々な意味が含まれる)。
 義理の親にとっては、前の配偶者が残していった子との間に血のつながりはなく、どんなに投資をしても自分の子孫を増やせる可能性が高まるわけではない。それどころか継子がいると自分自身の子作りの障害になったり、実子が生まれた場合は資源を奪い合うライバルになる可能性すらある。
 
 デイリーとウィルソンは、80年代にカナダの犯罪統計を調べ、子殺しの比率を実子と継子に分けて計算した。すると、実子と比べて継子は格段に被害者になりやすいことが分かった。
 「それは義理の親と継子は対立しがちで、ケンカが多いからではないか?」と一瞬思うところだが、そうではない。まだ親子ゲンカもできない0~2歳の乳児が最も多く殺害されており、その数は同じ年代の実子の40倍にも達していた〈3〉。
 アメリカやイギリスの統計からも、継子の乳児が同年代の実子よりもはるかに高い確率で虐待されたり殺害される傾向があることが判明している〈4〉。

霊長類の子殺し

 人以外の霊長類では20以上の種で、こうした義理の親(たいていは群れを乗っ取ったオス)による継子殺しが確認されている。その中にはゴリラやチンパンジーなど人に近縁の種も含まれる。ほとんどの場合、殺されるのは乳児だけで、すでに乳離れしている子供は殺されないという。
 これはメスに赤ん坊への授乳をやめさせ排卵を再開させるためだと考えられている。新たなオスは、今いる乳児を殺せばメスに発情を促すことができ、最速で子作りにとりかかれるのである〈5〉。
 
 霊長類にどの程度こうした継子殺しが発生するかは、その種の一夫多妻の程度、つまり配偶者のいないあぶれたオスがどれくらいいるかによって決まるという。

 動物界で初めて子殺し行動が確認されたのはインドなど南アジアに住む霊長類の一種、ハヌマンラングールである〈6〉。ハヌマンラングールは一夫多妻でメスをめぐるオス間の争いが非常に激しい。オスがハーレムの中に居続けられるのは平均で約2年だという。ハーレムの乗っ取りに成功したオスは、別のオスにその地位を奪われる前に急いで子作りをしなければならず、これが継子殺しが頻発する理由のようだ〈7〉。
 
 人間の女性も授乳中は排卵を抑制するホルモンが出て妊娠しにくいという点は同じである。先ほどのカナダの統計では、乳児段階の0~2歳の継子の被害者数は実子に対して40倍と極端に多いが、離乳する3~5歳ではその比率は数倍ほどに低下し、6~8歳になると差はさらに縮まる〈3〉。
 人間にも軽度の一夫多妻傾向があると考えられており、他の霊長類ほどではないにしろ、継子を心から愛せない、どころか時には殺してしまう心理は発生しうるものと思われる。
 
 ただし、これはあくまで国家クラスの人口規模で見た場合に確認される傾向であり、絶対数で言えば、継子が犠牲になる事件は(当時のカナダの統計で)親子1万組あたり年間約6件である〈3〉。義理の親の圧倒的多数は、血のつながらない子であっても大切に育てている。

人はなぜ協力できるのか

 数理的な検証も行われている。人間も含めて多くの生き物では、血縁関係にあるもの同士が利他的な行動をとる。これは、そうした方が自分の遺伝子を残すのに有利だからであり、進化論的に容易に予想されることである。
 人間はそれに加えて、血縁者ではない相手とも協力的で友好的な関係を築く性質を持っている。ただし、これにはほとんどの場合、助けてくれた相手に対しては好感を持ち「今度はこちらが助けなくては」と感じる、裏切り者に対しては怒りを感じる、といった互恵的な感情が伴っている。

 これは、非血縁者との関係では、助けることも助けられることもない個人主義者、ひたすら助けてばかりの利他主義者、ひたすら裏切ってばかりの利己主義者のどれと比べても、「助けられたら助け返す」「裏切り者は避ける、時には罰を与える」といった互恵的な態度をとる人の方が、長期的には最も多くの利益を得られ、遺伝子を後世に残しやすかったことによる進化であると考えられる。こうした互恵的利他行動の進化は、ゲーム理論などの数理モデルやコンピューターによるシミュレーションでも再現されているという〈8〉〈9〉。

 霊長類でもこうした互恵的な行動の起源のようなものが確認されている。チンパンジーの群れに大量の餌(たくさんの葉がついた大きな枝)を与え、それを分け合って食べる複数の個体を観察すると、過去にたくさん餌をくれた相手には多くを与え、あまりくれなかった相手には与えない、直前に毛づくろいをしてくれた相手にはお礼をするかのように多くを与える、といった借りを返すかのような行動が見られるそうだ〈10〉。

完全な実証ができなくとも無価値とは言えない

 上にあげた例は一部であるが、進化心理学では堅実で実証的な研究も多く行われている。少なくとも(真っ当な研究者であれば)検証可能な仮説を立てようという意志はある。
 霊長類の生態などは動物行動学の領域であるが、進化心理学はそれ単体で成立する分野というより、様々な学問の知見を取り入れて人間の本質について考える学際的な営みなのである。

 とはいえ、形のないものを対象にする以上、満足のいく検証がほとんどできない場合もあるだろう。また、目や心臓と違って人の心理は社会環境にとても大きな影響を受ける。それがどこまで生得的なものでどこからが文化の影響によるものなのか、はっきりしない場合もあると思う。
 
 しかし、こういう「いつまでも白黒つかない感じ」は、社会学や経済学などの人文社会科学でもよくあることである。
 
人や社会を対象にする分野の理論というのは、実験室で同じ条件さえ整えれば完璧に再現できる、といった性質のものではなく、「おそらくこうだと考えられる… 」「本当かもしれないし間違ってるかもしれない… 」という曖昧さを常にはらんでしまう。しかし、だからといってこれらの学問に全く価値がないとは言えないだろう。

 継子殺しの例からもわかるとおり、あらゆる生き物は進化の過程で身に付けた生態に従い、ひたすら生存上・繁殖上有利になるよう行動する。なのに人間だけはそうした生得的な基盤に一切縛られていないかのように考えるのは、むしろ不自然で非科学的なことではないだろうか。
 進化心理学は、しばしばその成果が(特に科学界の外で)誇張・乱用されがちであり「取扱注意」ではあるのだが、人文社会科学とは別の角度から人間を知る手段としてやはり一定の有効性はあると思う。



〈1〉『進化心理学は疑似科学である 【書評・上】進化心理学から考えるホモサピエンス』九段新報、2019.5.28
http://blog.livedoor.jp/kudan9/archives/55360582.html
〈2〉ワン・シアオティエン/スー・イエンジエ編『進化心理学を学びたいあなたへ』東京大学出版会、2018、p.66
〈3〉長谷川寿一、長谷川眞理子『進化と人間行動』東京大学出版会、2000、p.135
〈4〉マーティン・デイリー/マーゴ・ウィルソン『シンデレラがいじめられるほんとうの理由』新潮社、2002、第4章

※このテーマの本格的な研究書に、同著者による『人が人を殺すとき 進化でその謎をとく』(新思索社、1999)がある。前掲『進化と人間行動』の著者でもある長谷川寿一と長谷川眞理子が翻訳を担当している。

〈5〉前掲『進化と人間行動』p.82
〈6〉霊長類以外にも、ライオンやリカオンなど複数の動物で子殺し行動が確認されている。
〈7〉前掲『進化と人間行動』p.203
〈8〉スティーブン・ピンカー『人間の本性を考える(中)』山下篤子訳、NHKブックス、2004、p.222-223
〈9〉前掲『進化と人間行動』p.179-183
〈10〉フランス・ドゥ・ヴァール『あなたのなかのサル —霊長類学者が明かす「人間らしさ」の起源—』藤井留美訳、早川書房、2005、p.254-257

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