【第5回】進化心理学で考える性差 (1)オスとメスの違い
主な参考文献
今回からやっと本題である。ここからは進化心理学、または進化生物学に基づいて人間の性的な在り方の起源について考えていきたい。この二つはとても近い関係にあり、生き物全般の形態や生態について進化論的な観点から説明しようとするのが進化生物学、その考え方を人の心理や行動にも取り入れたのが進化心理学である。
最初に断っておくと、私は大学院などに通った経験はなく特に何の専門家でもない。研究ノウハウのようなものを持っているわけではないし、英語で書かれた最新の論文を読み解いたりもできない 。できるのは一般向けの書籍を読み込んで、やや古めの研究を基に話を整理することくらいである。出典も孫引きだらけになってしまう。
それでも、ネットで手軽に読めるようにしておくことには意味があると思うし、私なりに補足や解釈も加えるなどして、単なる要約以上のものにするつもりである。だいたいの論旨は、進化心理学の概説書として定評のある以下の2冊に負っている。
・ 長谷川寿一、長谷川眞理子『進化と人間行動』東京大学出版会、2000
・ ジョン・H・カートライト『進化心理学入門』鈴木光太郎・河野和明訳、新曜社、2005
全体的に以下の書籍も参考にしている。
・ スティーブン・ピンカー『人間の本性を考える —心は「空白の石版」か—』山下篤子訳、NHKブックス、2004
・ ジャレド・ダイアモンド『人間の性はなぜ奇妙に進化したのか』(文庫版)長谷川寿一訳、草思社、2013
・デヴィッド・M・バス『女と男のだましあい —ヒトの性行動の進化—』 狩野秀之訳、草思社、2000
・ ワン・シアオティエン/スー・イエンジエ編『進化心理学を学びたいあなたへ』東京大学出版会、2018
・ウィリアム・フォン・ヒッペル『われわれはなぜ嘘つきで自信過剰でお人好しなのか —進化心理学で読み解く、人類の驚くべき戦略—』濱野大道訳、ハーパーコリンズ・ジャパン、2019
他にも色々と参照しているのでその都度出典を記載する。話の性質上(というだけでなく私自身が動物好きなのもあって)、様々な動物の生態についてかなり字数を割くことになるが、ネットでちょっと調べれば出てくるくらいの知識については特に出典を示さない。
進化にはなんの目的もない
これから「進化」という言葉を何回も使っていくので、最初に正確な意味を確認しておこうと思う。本や研究者によって定義の仕方は微妙に異なるが、上にあげた参考文献の一つ『進化と人間行動』から引くと、「進化とは、集団中の遺伝子頻度が時間とともに変化すること」〈1〉である。
あるネズミの集団がいるとしよう。このネズミたちは元々暖かい土地に住んでいるので体に生える毛が短い。しかし、ある時、何かの事情で気候が変わりこの土地が急に寒くなったとする。
そのタイミングで、たまたま突然変異で長い毛を生やす遺伝子を持った子供が何匹か生まれるとどうなるか。長い毛を持つ個体は寒さに強く生き残りやすいので、短い毛を持つ個体よりも子供をたくさん残すだろう。その子供たちには親と同じ長毛の遺伝子が受け継がれ、親の代と同様に短毛の個体よりも多くの子を残すだろう。
これが何百世代と繰り返されると、このネズミの集団ではほぼ100%の個体が長い毛を生やす遺伝子を持つようになる。つまり、その遺伝子の頻度が高まるのである。すごく単純化した例であるが、こういう現象を「進化」という。
上にあげた書籍『進化と人間行動』でも強調されているが、進化は偶然の積み重ねで起こるのであり何か目的があって起こるのではない。遺伝子の突然変異はランダムに発生するので、その遺伝子を持つ個体にとって有利な変異もあれば不利な変異もある。
ある生物の集団の中で、生存や繁殖に有利な遺伝子が偶然発生すると、それが何十万年も何百万年もかけて少しずつ広まっていく。そのプロセスが進化であり、そこに生物自身の意志や目的が働いているわけではない。
ゆえに、定番中の定番であるキリンの首の例で言えば、「キリンの首は高いところにある木の葉を食べるために長くなった」という説明は本当は間違いで、「長い首を持っている個体の方が高いところにある木の葉を食べるのに有利であり、そうでない個体よりも繁栄した」というのが正しい。
前者の表現の方がわかりやすいし、私もそういう書き方をすることがあるかもしれないが、理解として正確なのは後者である。
※ 意外なことに、キリンの首が長くなった理由については諸説あり、未だに結論が出ていないらしい〈2〉。
「オス」と「メス」の定義
人間の前にまず生物一般の話から始めた方がわかりやすい。生き物の繁殖の仕方には無性生殖と有性生殖がある。無性生殖では一つの個体が単独で新しい個体を作ることができる。大腸菌、イソギンチャク、ジャガイモやチューリップなどがこれにあたる。
一方、有性生殖では二つの個体が作る配偶子(その個体の遺伝情報がつまった細胞)の結合によって新しい個体を作る。人を含めた哺乳類はもちろん、鳥類、爬虫類、両生類、魚類などの多くがこちらである。
生物学では、小型の配偶子である精子を作るのが雄(オス)、大型の配偶子である卵子を作るのが雌(メス)と定義される〈3〉。なんとなく「体が大きい方がオスで小さい方がメス」「子育てするのがメスでしないのがオス」というようなイメージがあるが、見た目の特徴や行動は関係ない。生物学上の定義はあくまで、「小さい配偶子(精子)を作るのがオス」「大きい配偶子(卵子)を作るのがメス」である。
競争する性としてのオス
有性生殖をする生物は同じ種であってもオスとメスで見た目が違うことが多い。そうした生物ではほとんどの場合、オスはメスをめぐって競い合う。
カブトムシのオスには角があり互いに投げ飛ばし合う。シカのオスには枝角があり互いに頭突きし合う。カバやイノシシ、セイウチなどではオスの牙が大きく発達しており、オス同士の戦いで使われる。直接噛んだり刺したりしなくても、より大きな牙を持つオスはそれを見せつけるだけで相手を引き下がらせたりできる。
角や牙のような目立った武器がない種でも、ほとんどの動物でオスはメスより体が大きく、オス同士が力をぶつけ合って戦う。
極端な例として有名なのはゾウアザラシである。オスの体重はメスの3~4倍もありオス同士の戦いは動物界でも屈指の激しさである。嚙み合って血を流し、目玉がえぐれて取れてしまうこともあるという。時には死ぬこともあるらしい。
勝ったオスは数十頭ものメスを独占できるが、今度はそのハーレムの防衛に忙しくなる。負けたオスが群れの周囲に待機し、隙あらばメスを奪おうとしてくるので常に気を抜けないのである〈4〉〈5〉。
鳥類では格闘ではなく見た目の美しさやパフォーマンスで競い合うものが多い。クジャクのオスは派手な飾り羽を開いてメスに求愛し、より長くて華やかな羽を持つオスがメスに選ばれる。ウグイスのオスは鳴き声をあげることでメスに求愛するとともに、他のオスに自分の縄張りを主張する。フウチョウ(極楽鳥)のオスは複雑で奇怪なダンスを踊ってメスに求愛する。種によって手段は様々であるものの、とにかくオスはメスを取り合うのである。
親の投資量の違い
では、競い合うのはなぜメスではなく常にオスなのか。生物学者のロバート・トリヴァースはこれを「親の投資」という概念で説明した。これは「親が以降の繁殖機会を犠牲にして、今いる子の生存率を上げるように世話する行動のすべて」〈6〉を指す。
ほとんどの動物は、子を育てるために、巣作り、巣の防衛、卵の保護や抱卵、授乳、餌やりなどの労力を注ぐ必要があり、今いる子を育てている間は次の子作りにとりかかれない。こうした、子供に投資される労力の差が2つの性の間で大きいほど、投資量の少ない側が大きい側をめぐって争うことになる、というのがこの考えである。
たいていの動物ではメスの方が子育てに労力を注ぐので、オス同士が争うことになる。オスは、シカであればより立派な角、ゾウアザラシであればより巨大な体、クジャクであればより華麗な羽を持つ方が、他のオスとの競争で有利になる。一目でオスとわかるこれらの特徴は、メスをめぐる競争がエスカレートした末に獲得されたものである。
このように同じ種であってもある形態が片方の性にだけ発達することを「性淘汰」という。また、その結果としてオスとメスで形態が異なっていることを「性的二型」(せいてきにけい)という。
メスの方が投資量が大きい
では、なぜ一般にメスの方が投資量が大きいのか。それは、メスは配偶子生産の段階ですでにオスよりはるかに多くの時間とエネルギーを割いているからである。卵子は精子よりはるかに大きく、遺伝情報だけでなく豊富な栄養分も含んでいる。精子より格段に生産コストが高いのである。
株や商売への投資と同じで、1万円の投資なら失ってもまあ諦めはつくが、100万円投資したとなればそれなりの成果をあげなければ割に合わないし、失ったときのダメージが大きい。
わずかな時間で大量の精子を作れるオスよりも、多くの時間とエネルギーを割いて少数の卵子を作るメスの方が、子供が無事に育たなかった際に失うものが大きいのである(自分の遺伝子を残せる確率が低くなる)。
そのため、一般にメスの方がより熱心に子供を世話する方向に進化し、卵子の生産と子育ての両方を担うメスは、オスにとって貴重な存在となる。
また、少ない投資で子を作ることができるオスは、より多くのメスと交尾することで自分の子孫を増やそうとするのに対し、投資が大きく一生のうちで残せる子孫の数が限られているメスは相手を慎重に選び、少数のより質の高いオスと交尾するという、配偶戦略の違いが生まれる。
哺乳類のメスは特に投資量が大きい
哺乳類はこの傾向が特に強い。哺乳類のメスは体内で何か月も子供を育てた上で出産し、さらに授乳を行う。メスの方が子への投資量が圧倒的に大きいのである。
そのため、哺乳類の多くは一夫多妻または乱婚であり、オスは交尾するのみで、メスが子育てのほぼ全てを担う〈7〉。先ほど例に出したシカ、カバ、イノシシ、セイウチ、ゾウアザラシはいずれも一夫多妻でオスは子育てに関わらない。
もっとも、動物たち自身はこうした行動を、いちいち損得計算をした上で選択しているわけではない。繁殖や子育てに関わる行動様式もまた進化の産物として、オスとメスそれぞれにプログラムされており、それに従っているだけである。
オスであれば、あるメスと交尾が済んだらすぐに別の相手を見つけようとする個体の方が、メスであれば、子供から離れずに熱心に子育てをする個体の方が、より効率よく子孫を残せた。これが何千世代と繰り返された結果、多くの種でこうした行動をとる個体がほぼ100%に達したのだ。前述のとおり、進化には生き物たち自身の意志は働いていないのである。
〔次回に続く〕
注
〈1〉長谷川寿一、長谷川眞理子『進化と人間行動』東京大学出版会、2000、p.22
〈2〉『キリンはなぜ首が長くなった? 「餌の確保」「太いほどモテる」有力説を解説』Yahoo! JAPANニュース、2021.3.22
https://news.yahoo.co.jp/byline/ishidamasahiko/20210322-00227262
〈3〉前掲『進化と人間行動』p.187
〈4〉『地球にひとつの生命 浜辺で恋するミナミゾウアザラシ』ナショナルジオグラフィック、2008年11月号
https://natgeo.nikkeibp.co.jp/nng/magazine/0811/feature03/index.shtml
〈5〉『【閲覧注意】ゾウアザラシは怖い?ハーレムをかけたオス同士の血みどろの戦い』あにまるちゅーぶ、2018.7.11
http://animaltube.online/elephantsealsbattle165
〈6〉前掲『進化と人間行動』p.192
〈7〉長谷川寿一『ヒトのセクシャリティの生物学的由来』日本心理学会
https://psych.or.jp/publication/world079/pw03
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