都会と地方2024

最近わたしの身の回りで「都会と地方」の話がHOTだ。

地方に比べると都会の方がチャンスがあるよね、地方は人と出会いにくいから、その分。幸福にはつながりにくいよねみたいな話し。

たしかに人間の幸福の根本に関わる人間関係の生成に関しては、自分の周り人が少ないよりも多い方がチャンスも確実に広がるし、活動範囲は狭いよりも広い方がいい。人口が少なく、今にも無くなりそうな集落よりかは、人口500人の隣の村。村よりは隣の田舎町。田舎町よりは、その町の経済圏の中心都市。そして県庁所在地。と人口が多ければ多いほど、いろいろなものにめぐりえるチャンスは大きい。それは否定できない。否定できないし、人口が多ければ多いほど、そこにいろいろな需要が生まれ、建物が建ち、それがさらに人を呼び、地元にはない美術館や図書館なんてあったりもする。事実自分も200万都市の札幌でその恩恵を受けているつもりではある。

ところで地方とは何だろうか。
ネットの辞書で軽く調べたところ「大都市に対してそれ以外の土地」と書いてあった。わかりやすくいうと東京を大都市と置くなら、それ以外の土地のことを指すのだが、この地方という言葉は人によって捉え方が様々なように思う。

首都圏、特に23区内に住む人にとってみれば、東北、北海道なんて文字通り「地方」なのだろうし、僻地にある港町なんてもっと地方なのだろうけれど、たとえば札幌で長いこと仕事をしていると、時々「札幌⇔他の道内の地域」を対比して、他の道内の街のことを「地方」という人を見かけることがある。

彼らにとっては、自分たちが住んでいる札幌こそが中央であり、道内の他の地域が地方なのである。ちなみにこれはわたしが、田舎から札幌という大都市に出てきて、初めて感じたカルチャーショックのひとつでもある。

札幌は大都市と書いたが、首都圏、特に23区からは直線距離で800kmも離れていて、東京から見れば距離的には十分地方である。「北海道? そんな北のはずれになんて行きたくない」という人と酒を飲んだことがあるが、そのおっさんは終始、北海道のことを見下しながら話をしていたように思う(その節は御世話になりました)

距離的な問題ではない?
じゃあなんだ。

距離で分けないとするなら、では人口の多さが都会と地方を分けるのか。

そういう見方もあるとは思うが、実際のところ身の回りに人が多い、もしくはそのような環境下にいるからと言って、自分の好みの人と知り合えるというわけでもない。現に東京含めた都会に夢を抱いて、出てきても誰とも繋がることが出来ず、ひとりぼっちになる・・ような人はたくさんいるのだと思うし逆に、狭いし自由の利かない田舎でもいろいろな人とつながり幸せを感じている人もいると思う。

都会と地方は物理的な条件、制約もそうだと思うが同時に思想の部分もあると思う。都会的な生き方。地方的な生き方。大都市にいても、気の合う人たちとだけ交流を持つのであればそれは、地方的な生き方なのではないか。そしてそこに都会的な生き方との優劣は無い。

余談だが自分は地方という言葉が嫌いだ。

この対比で語られる時の、中央と地方は対等な関係に無いように思う。中央あっての地方。地方は中央のおかげで生きている。地方ではチャンスが少ない、何かを成し遂げたければ中央に来た方がよいというようなニュアンスを感じてしまう。

まぁ、事実そうだから仕方ないのだけど、だとしても中央都市以外のその国に存在する9割以上の個性豊かな街を、「地方、地方都市」と十把一絡げに扱うのは感情に乏しすぎる。それならせめて「札幌」「仙台」「福岡」と名前で呼んでほしいな。

最後に。
東京にひとりたびに行ったとき、23区のハズレの方で宿泊したゲストハウスのオーナーに「東京ってなんですか? 都会とは? 地方とは?」みたいな問いを投げたことがある。その時の自分の旅のテーマは「都会とは何か」だった。

そのオーナーは3代続く地主の家系で、ガチガチの東京出身者だった。その人に「あんたは何を見ているんだ? 目の前に東京(という土地)があるだろ)」と言われた。

その人いわく新宿や渋谷は地方出身者がつくりあげた虚像であり、あんなのは東京じゃないそうだ。

地方から夢を抱いて出てきた人が中央都市を築き上げ、中央に住む人が「地方」を定義づけるのかもしれないね。

そんな話。

ちょうど1年くらい前にこの話題でひとり熱くなっていたので懐かしくなって、今の意見を適当に書いてみた。思ったより文字が書けてびっくりした。えらいな。えらい。

あなたの都会はどこで、地方はどこですか?


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