【徒然】 相手を赦すのは誰のため?
母の激しい暴言・暴力は
今なら「虐待」と認定される。
わたしはそう思っている。
40代になっても
境界線なく介入され
自分の領域を守るため拒めば
「反抗的!」と怒鳴られた。
その母との力関係が逆転してから
私は母への怒りが止まらなくなった。
自分の人生の歩みを止めて
母に対して怒り続け
同時に
自分をさらに傷つけてきた。
母への怒りにより
職場でもトラブルが発生し
おかげで私は倒れ
カウンセリングで自分に向き合い
コーチングでコミュニケーションを学び
「7つの習慣」で主体性を身につけ
人生を180度変えるよう努めてきた。
今も取り組み続けているし
今後もたゆまず続けることである。
同時に
母がどうしてこんなにも
暴言・暴力その他、
マイナスの習慣に無自覚なのか
母のルーツを調べたり
母を理解するために取り組んできた。
そして
母への怒りがなくなると同時に
母に癒されてほしいとの気持ちが湧いている。
母をゆるすこと。
母を受け入れること。
母に癒されてほしいと思うこと。
どうして
そんなことをするのか。
正直に本音を明かすなら
「母のため」ではない。
「わたしのため」。
わたしが母に囚われずに生きるため。
わたしが自分の人生を生きるため。
わたしが幸せに生きるため。
母に対して割り切り
自分の人生を生きる人もいる。
私は母との分離ができていなかったから
母に対してずっと執着をして両手に握りしめ
母に対して怒りを持つことで
母との密着した時間を長くしてしまった。
相手をゆるすことは
究極的には「自分のため」。
ようやく握りしめていた手を開き
長年の課題を手放したわたし。
満月の今日🌕
わたしがお月様に誓うことは。
「自分に繋がり
自分の人生を生きる」。
それが自分の幸せであり
周りに幸せをもたらすものであると信じている。
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