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「折り合いをつける」と「我慢」

教育についての情報集めのツイッターアカウントで「我慢と折り合いをつけるは違う」という話をされている方がいて、そのとおりだなあと思った。

こんな話をまとめたくて、早何週間・・・

我慢=いいものとか、相手に譲る=正義という場面に出会う。子どもと接していても、列に並ぶときに互いに譲り合いすぎて、後ろが混雑することもよくある光景。

表面にある姿・行動が「譲る」や「一歩待つ」であったとしても、そこに自分の納得感があるかどうかで、折り合いをつけたのか我慢をしたのかが変わる。

Weblioによると

折り合いをつける
交渉において、互いにある程度譲り合って双方が納得できる妥協点を定めること。互いに意見や立場が対立しないポイントを見出すこと。
我慢
耐え忍ぶこと。こらえること

だそうで、やっぱり”納得感”はキーワード。

教員として働いているので、子どもたちには・・・とよく考えるけれど、やっぱりこれから大人になる彼ら彼女らには我慢よりも「折り合いをつける」方法で生きていってほしい。

聴くことと訊くこと

聞く☞hear    きこえる、耳に入ってくる
聴く☞listen  (意思をもって)きく
訊く☞ask  たずねる

相手が納得感を得られるように心がけていることは2つの「きく」。自分が我慢している=嫌な気持ちになったと訴える子どもは、相手からの受容されている感が足りていないと思う。

だから、とにかく聴くと訊く。

T 「ねーねー、〇〇さんからあなたが嫌なこと言ってくるって聞いたけ
   ど、何があったの?」
C 「だって〇〇さんがー」
T 「〇〇さんの何が嫌だったの?」
C 「おにごっこのルール守ってくれない。何度言っても止めてくれない」
T 「ルールを守ってほしかったのね。」・・❶
  「今日、あなたは何をしたの?」
C 「〇〇さんに死ねって言った。」
T 「そっかそっか。今日は、〇〇さんがルールを守ってくれないことが嫌
   だったから、あなたは死ねって言ったのね。」・・❷
  「それであなたの気持ちは伝わる?」・・❸
C 「伝わらない」
T 「どうすると伝わるかなあ」・・・❹

小学生の問題行動の多くが、自分の気持ちを適切に表現できないことや相手に受け取ってもらえないことによる我慢の爆発だと思っている。

だから、気持ちを聴いて、何をしたかを訊いて、客観視させてから、それでよかったのか、どうするとよいのかを一緒に考える。

❶繰り返して、気持ちの共感
❷気持ち⇌今回の言動を繋げる
❸言動を振り返らせ、適切だったかを考えさせる
❹気持ちが伝わる別の方法を見つけさせる

こうやりとりをすると「ちゃんと言葉で伝える」とか「〇〇さんに謝る」とか、これからのことを子どもから言えるようになります。「ごめんね・いいよ指導」の話の一番の問題は、形式が重視されすぎていることであって、そこに子どもの意思があれば、いいのかなと思う。

言動を振り返って、謝りたいと思えるのなら、それは「言動のよっくなかったところ」を受け止め、納得している姿だ。


選んだ実感のある「折り合いをつける姿」を育てるか、気持ちにフタをすることを美として「我慢する姿」を育てるか。

どんな姿を育てたいか、もう一度考えて子どもの前に立ちたい。


自分自身にも訊いてみる

今日、言えずにできずに我慢したことはあった?

どうして我慢したの?今日のよかったところは?

本当はどうしたかったの?

今からできることは?


本音をよく訊いて、今日の自分に納得をして1日を閉じよう

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