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未来教育ナイト2020⑬

未来教育デザインconfeitoさんが主催の「未来教育ナイト2020」第13回目に参加させていただきました!分散登校が始まってから体調不良とか忙しさとかでオフラインな生活でしたが,やっぱりこうして参加すると刺激をもらえるなと再確認◎

いわゆる"先生"だけでなく,教育関係者や保護者の方など様々な立場から,さらには海外からも参加されていて,いろいろな視点から考えることができました。

パワーワードにたくさん出会った2時間半,温かいうちにアウトプット。


Q1 今、学校で何ができるか

東北,関東,関西。それぞれの地域によって全く実態が違うことを知りました。フェイスシールドをするとか7時間目までオンラインで行っているとか・・・。

「やってみたいけど,だれに頼めばいいのか」というこれまでに対して,オンラインは可能性を広げる手段であるけれど,やはり「一斉」「一律」という言葉で足が止まります。教育を受ける権利はだれにでもあるから,デバイスをもっていない子がいる中での強行オンラインは不必要だと思うけれど,学校と社会がつながるツールとしてのオンラインは歓迎されてほしいな。オンラインが普及し,社会でできることの可能性は広がっているのに,学校でできることの可能性が広がりきらないとしたら,それは自分の意識の中に原因があるのかもしれません。

ニュージーランドやフィンランドでは,クリエイティブな課題が出されているそうです。日本の「課題リスト」をイメージすると,学習内容がずらり・・・ですが, 
 〇家族のためにコーヒーや紅茶をいれよう!
 〇自分で絵本をつくろう!
 〇ミュージックビデオをつくろう!
これだけでもわくわくしますね。ソウゾウ(想像・創造)を重視した活動っていいな~と臨時休校が終わってから,ちょっと反省もこめて学び。

ちなみに,私の自治体は2回臨時休校があったので,1回目の反省を生かして2回目は知識重視だけではない課題も出してみました。臨時休校が明けて,やっぱり子どもたちが話したいことって,自分がつくったものとか実験して分かったことばかりで,知識はソウゾウのための材料でしかないんだなと実感しました。

Q2 学校はどこに向かうべきか

結論は「選ぶ自由が保障される場」になること。学校に行きたくないときは,オンラインで学習する。学びたいと思ったときに,手に入れる手段はオンラインでもオフラインでもいい。知識を得る対象は,常に必ず"先生から"でなくてもいい。

もしもそんな風に自分に合う関り方をもっと選べたら,自分と他者との違い恐れず学び続けることができるのではないかと感じました。

とはいっても,明日からそんな風に激変することはありえなくて。

私にできることって何だろう。


教育の主語はだれなのか

「ママをしている人たちから「うちの学校は〇〇してくれない。」という言葉をよく聞くけれど,教育するのは学校の役割なのか・・・」

教育の主語はだれなのか

これが私にとって最も刺さったパワーワードでした。保護者の立場で「学校が何もしてくれない・・・」というのも,先生の立場で「保護者が何もしてくれない・・・」というのも,悪いことではないけれど

社会の一員として,大人である自分ができることは何か
その「できること」に対して最善を尽くしたのか

ということを考えた上で,発言をしたいなと思いました。

原因を外に向けるのは絶対に楽なんです。だって,批判すればいいだけだもの。批判をして何か変わるかと言ったら・・・聞いた人は悲しい気分になるし,言った本人も変わらない現状によりイライラするだろうし,いいことはない。よく指導案検討や協議会でも言われるけれど,「批判をするなら代案を」というやつですね。

ただ・・・このパワーワードのあとの会話がもっと興味深いものだったのです。

誰かがしてもらうことを待つ姿勢こそ,これまでの教育がつくりだしているものなのかもしれません」という話。知識ばかりをつめこもうとして,先生が一生懸命話す→一生懸命ノートをとる。(結果,先生が言ったことを聞き逃す)

自分が行動することで自分の身の回り(集団,社会)が変わる経験がもっとあれば,自分は何ができるのかを考えることができるのかな。

少し昔のものですが,とても有名なこのデータ。「社会現象が変えられるかもしれない」や「自分自身に満足している」という数値が,向上するか下降するかは学校の先生ではなく,全ての大人に「あなたは何ができる?」と問われているのだと思います。


エモいが社会をつくる

パワーワードその2

エモいが社会をつくる

事柄に対して,どれだけ心を揺さぶられるか。自分事として感じることができるか。想像することができるか。これからは「どれだけ知識をもっているか」ではなく,「その知識で,どれだけソウゾウできるか」というところが,社会をつくるエッセンスとなる。やっぱり正解を知っているより,つくりだせるほうが強みになるのですね。

まさに「この時代に生きる 私たちの矛盾」でした。

人生はどれだけ呼吸をし続けるかで決まるのではない
どれだけ心のふるえる瞬間があるかだ

ボブ・ムーアヘッド牧師が原作の詩で,様々な訳され方があるようです。ぜひ調べてみてください。


教育の最上位目標とは

最後に主催のおひとりである先生がお話していたことです。

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できることからやる。できないことは悪くない。いつでもやり直しOK。一斉を離れて,困ったときには「助けて」といえるつよさをもった子どもを育てること。そして,「助けて」と声に出してくれた思いに,大人が向き合って伴走すること。

ふと思い出した。私のいる学校,個人懇談のときに成績のレーダーチャート配らなくなりました。書類を減らすということもあったんだろうけど・・。チャートをみたときに,2のような数値の低さを高めることに注力せず,5をどう生かすかと考えられる大人になりたいです。なります。


私ができること

大変ありがたいことに,子どもたちに直接,長い時間関わることのできる立場にいる私は何をするのか,自分宣言。

1.完璧をつくらない
2.「分からない」と言われたら(言ってくれて)「ありがとう」を
3.
できないことをどうするかと考えない
  ⇒できることでできないことを支える言葉がけをする
4.「先生」でない時間をつくる⇒ピアノを弾く
5.一人で考えすぎない⇒たくさん話す

よい週末のスタートができました◎

ご縁に感謝

そういえば,職場のいいところ。金曜日の退勤時に「よい週末を~」と聞こえます。言うタイミング逃しがちだけど,私も言えるようになりたいものです。


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