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「ますらおぶり」を尊ぶ日本 反骨心を否定した中華

現代の国学
「やまとこころ」と近代理念の一致について 
第一章 人間と宗教と啓蒙の歴史


「ますらおぶり」を尊ぶ日本 反骨心を否定した中華
 
日本には「ますらおぶり」という言葉があるが、これは勇気と豪胆さという実体的な名誉価値を尊ぶ言霊である。この「ますらおぶり」という言葉は、ある意味で男らしさを示す言葉であるが、それ以上のイデアを示す美的感性でもある。

神功皇后や巴御前のような女武将は数多く存在していたし、北条政子は尼将軍と呼ばれていて、間違いなく彼女達は「ますらおぶり」を発揮していた。男勝りと呼ばれる女性は日本には数々居たわけであって、彼女達は日本史史上の英雄として尊敬されている。男尊女卑とは儒教的な風習に過ぎず、女も弓や薙刀を取るのが日本の伝統なのだ。

国学者の賀茂真淵も、日本は男性だけではなく女性にも「ますらおぶり」があると述べているのだから、この「ますらおぶり」は単なる男性固有の精神を表すだけの言葉ではなく、ある種の豪胆さを示す言葉であろう。「たおやめぶり」であっても、なんらかの丁寧さを示す言葉であって、これも女性固有の心性ではないはずだ。それが故に、本著では「ますらおぶり」も「たおやめぶり」も肉体的な意味ではなく、精神性を意味する言葉として用いることにした。

「ますらおぶり」とは、反骨神をも含む概念であって、古来から日本人は圧政に抗する気概と自尊を重んじていた。事実として、日本人は平将門や赤穂浪士をも英雄として祀っている。あの源義経ですら、安徳天皇を滅ぼして、その後に彼自身にも追討の院宣が出された逆賊である。日本語においては逆賊という言葉には、体制への反逆者という程度の意味合いしかなく、売国奴という意味は存在しない。

「勝てば官軍」という言葉には、所詮は官軍とは勝っただけの存在であって、官軍とは絶対的な善を有している存在ではないという意味が存在している。上が全て是であるという権威主義は、日本には存在してはいなかったということだろう。むしろ、「判官贔屓」として敗北者の義経を尊重する気風までもが存在していた。

古代の日本人には、体制に反抗的であることをむしろ美徳とすら考えていた節は数多く見られる。古事記において高天原で神であるスサノオが乱暴狼藉の限りを尽くすといった描写があるが、これは現代で言われるテロリズムすら許容する気風があったということだ。事実として、大化の改新はテロリズムであるし、壬申の乱もクーデターである。世間には反抗期という言葉も存在しているが、こういった歴史を見るとその言葉も輸入品であるのかも知れない。

実はこのことは単に日本人の主観的な認識ではない。フビライ・ハンは、モンゴル文化を重んじた祖父と異なって中華的な習慣を愛好していたが、彼が日本侵攻を計画した際には、「あのような長幼の序も知らない国の人間の王になっても困るだけ」と大臣から諫められていた。どうやら外部からの観察によっても、日本人は儒教的に従順ではないと思われていたらしい。

 「ますらおぶり」という気概を示す言葉が日本語には存在する一方で、日本語には小心者という気の弱い委縮した人物を軽蔑する言葉が存在している。しかし、中華においては小心者とは小さなところに気配りが出来る者と言った意味であって、同じ文字であってもむしろ人を評価する際に使う言葉であり、日本とは対照的だ。

とはいえ、日本人からすれば、小心という言葉は些末を気にして要事を行う胆力がない従順なニヒリズムに聞こえるものだ。それどころか、先述した歴史を鑑みるに、瑣事だけを意識させて本質的な重点を無視させるために、中華では小心者を作ろうとしていたのではないかといった疑いも生まれる。
歴史において、改革者とは反抗期を極端に拗らせたような者ばかりであったとは先述した。彼等は、体制に対して委縮し従属する小心者と違って「ますらおぶり」を体現していたと言えよう。日本は破壊的なイノベーションを起こす精神を「あらみたま」として尊んできたのだから、元来は変革を重んじる国なのだ。

一方で、儒教の本場の中華大陸や朝鮮半島では、物理的かつ精神的なインポテンツを作る刑罰の宮刑が大変に有名である。一説によれば、去勢された男性を神官にする風習が宮刑の元となった事例であって、そこから派生して、刑罰によって去勢された者を、宦官として皇帝に仕えさせるという制度が出来上がったらしい。これを考えると、「ますらおぶり」の否定こそが中華的な歴史伝統であったのだ。

よく考えてみれば、日本の仏教における妻帯の禁止は、中華からの影響であるし、日本の坊主達は実際には破戒して妻帯していたものも多く存在していた。仏教の開祖であるゴーダマ・シッダールダが妻帯し、子どもまで作っているのだから、原始仏教の妻帯の禁止の説得力というものも疑わしいものでしかない。

事実として日本の坊主は、鑑真が律宗を輸入してくるまでは平然と妻帯していた。日本の仏教の妻帯の禁止というものは、中華の神官を去勢するといった要素が中華から輸入されたということなのかも知れない。破戒僧であった親鸞はその戒律自体を破壊して坊主が妻帯出来る浄土真宗を創設したが、これは仏教から中華色が抜けて日本的になったということだろうか? 

他にも有名な中華の伝統としては、科挙という人材登用試験が存在している。科挙は現代の受験制度の元になった制度であるが、受験制度は日本どころか世界中に広まることになった中華的な伝統なのだ。そして、この制度は儒教の影響によって成立したという歴史があって、試験の内容には儒教の経典である四書五経の暗記というものが存在していた。

受験という制度は、思春期の人生に観念的な勉強を強制し、人間の実体的感性と文化的知性を棄損する機能を最大限に発揮している。それどころか、儒教圏では受験勉強の過労によって死んでしまう「過学死」という現象が存在していて、本場の受験戦争は日本とは比べものにならない苛烈さであるのだ。こうした現象を鑑みれば、人間の「ますらおぶり」を去勢することが中華的な伝統であることは間違いと言えよう。

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