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WWOOF旅 in 北海道

北海道で10日間ほどWWOOFを利用して、とある農家さんのお家に滞在させていただいた。(※昨夏のお話です。)

お邪魔させてもらったのは、ご夫婦で自然栽培を営んでいるファームさん。わたしは農学部でもないので、自然栽培が何なのか、もとより農業についての知識だってほとんど備えていない。ただお二人のプロフィール欄に書かれた

「お金中心の社会から援け合い、分かち合う社会へと価値観を変えていけるような場所づくりをめざしています。」

の一文に惹かれ、(プラス知り合いのすすめもあり)お手伝いとして受け入れていただいた。

それにも関わらず、本当に優しく温かく迎え入れてくれたお二人。滞在二日目には「あれ、おばあちゃんちで暮らしている?」と思うくらいの居心地のよさだった。

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簡単に説明しておくと、自然栽培とは

「自然栽培」の定義は自然界を教師にして、自然から学び、自然を尊びながら自然に添っていく。そして大自然の法則を田畑に応用するという農法です。“土からもタネからも逃げない“、そして、肥料や農薬に頼ることなく大自然の潜在能力を田畑に発揮すること、植物の本来の生き方に向き合うこと、これをもって「自然栽培」と呼んでいます。
(自然栽培全国普及会 より)

このように自然栽培とは「自然と一体となって野菜をつくる」という方法なので、大量につくり、大量に収穫できる農法ではない。畑を見渡し驚いたのは、雑草と収穫物(野菜やハーブ類)の見分けがつきづらいこと。ここの畑は、いわゆる「畑」と聞いて思い出す、広大で緑(収穫物)と茶色(畝=土)の境目がぱきっと分かれているような光景ではなく、大きいトラクターといった機械も使わない。近くにある林まで様々な雑草やお花がひとつづきに生えていて、その中をかき分けながら、いろんな野菜を採ったり、ハーブを摘んだりしていく。

収穫した野菜やハーブは、定期便を契約しているお客さんに届ける。配送分もあるけれど、お客さんが直接取りにきたり、ご夫婦が車で配達したりすることもあった。

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このファームで感じたのは「生活の中に仕事が溶け込んでいる」ということ。その境目はかぎりなく曖昧で、今晩のサラダに使う野菜を獲りに行くついでに、明日の配送分の葉物(ミントやハーブ)を収穫したり、野菜を受け取りにきたお客さんと一緒に枝豆の葉をとる作業したりと、普段の都会生活からは考えられないほど、時間にふりまわされない生活だった。

もちろん、私はたった一週間しかいないヘルパーの立場なので、ご夫婦が抱えている大変さを全て理解できているわけではない(そりゃそうだ)。「収量も少ないから、お金を儲けられる商売ではないよ」と言っていたし、お父さんは週一日だけ配達のアルバイトをしていた。お金に苦労していないというと嘘になるだろう。

しかし、それでもご夫婦やその周りにいる人たちの生活は満ち足りていた
それはお金が集まる代わりに、二人の元にはたくさんの信頼が集まってくるからなんだと思う。

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ある日、イチゴを植えるために畝を耕していたとき(売り物にする用ではない。家庭菜園用)、「この苺はたしかにお金にはならないけど、信頼とか感謝といった別の対価になるんだ」と思うと、なんだかとても満たさた気分になった。

人間が作り出した「お金」になるのではなく、目には見えないけど生身の人間同士をつなぐものになる、そしてその積み重ねでここの人たちは生活ができているんだと考えると、こちらの方が幾分も自然な循環になっているのではないかと思えた。

私がそのことを話すと、お母さんは「自分が営んだものをお金に置き換えてしまうと、外の世界に逃げて行ってしまう。お金に置き換えずに、顔の見える人たちと交換していく、そうしたら自分たちの世界でぐるぐるめぐってくれるのよ」と言っており、深く納得することができた。

ここでの生活は、自分と周りの人間、食べ物や動物たちが、すべて自分の営みの延長にあって、ひとつづきになっている。食べきれなかった夜ご飯は、翌朝の鶏のえさになる。そのついでに産みたての卵を採って、卵かけご飯にする。わたしが植えた苺は、春ごろ大きくなって、近くの子どもたちが収穫のお手伝いにくるらしい。

「顔の見えない誰か」のためではなく、「私たち家族」や顔の分かる「○○さん」のために、今日を生きるということが、こんなにも心地いい働きであることは、私の想像をはるかに上回るものだった。

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自然や動物と共存すること、自分や大切な人の健康を願って作物をつくり、採り、食べること。持続可能な地球を目指した消費活動をすること。

文字におこすと当たり前のことなのに、10日間これらしかしない生活をしてみると、都会での自分の生活がいかに無機質なものか思い知らされた気がする。

マレーシアでの留学生活につづき、今回のWWOOF旅でもまた(自分にとって)新しい価値軸で生きている人たちの暮らし方を体験することができた。なんというか、ほんとうに贅沢な時間だったなぁと思う。観光目的の旅だと、帰ってきてから自分の日常の変わらなさに毎度絶望するんだけど、今回の旅では暮らし方を学べたので、こちらに帰ってきてからも実践できることがあり、とても嬉しい。

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早速、シャボン玉石鹸(お皿洗い用)を買いに行こうと思います。(普段使ってる化学製品より全く手がつっぱらなかったので‥!)

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