学生じゃなくなる、ということ
この春わたしは大学4年生になる。周りをみると、就職活動やら留学やらで、「みんなそれぞれの場所で頑張ってるんだな」と、刺激をもらえる反面、さみしくも感じていて。
自分の友人グループや所属するコミュニティは、「時間」を共有しているか、「好き」が共通しているかの、どちらかに分けることができると思う。
地元のクラスメートや大学で知り合った友人は、「時間」を共有してきたorしている人たちで、教室やキャンパスなど、ひとつの空間で同じ時間を過ごすけれど、好きなこととか、やりたいことはバラバラなことが多い。
一方で、趣味ややりたいことを通して知り合った人たちは、「好き」や「ビジョン」が自分と共通している人だ。時間を合わせて、やっと会えたときの会話は尋常じゃないくらい盛り上がる。「○○ってよくないですか?」「こういうことやりたいんですよね」という話に対して、「わかる!」「いいねそれ!」と頷けることがたくさんあって。
わたし自身、やりたいことがやんわりと定まってきた今、これから知り合う人たちに「好き」や「ビジョン」が近い人たちが多くなるだろうなと思うと、新しい出会いが待ち遠しくて仕方ない。
その一方で、伊佐さんのこのツイートを見てわたしはハッとした。
ひとつの空間にいて、同じ「時間」を共有してきた大学の友人たちとの、好きなこともやりたいことも違うけど、お互いのぼんやりした将来を語り合って、「向かうところは別だけど、それぞれがんばろうね」と励ましあえる時間や環境は、これからどんどん減っていくんじゃないだろうか。
小学校、中学校、高校ともに、卒業を目の前にして、悲しいとか寂しいとか、一度も感じたことがなかったわたしでも、「学生卒業」とはこういうことかと、底知れない寂しさがおそってくる。
新しい出会いも、おとなになることも待ち遠しい。自分の居場所を自由に選べるなんて、こんなワクワクすることある?ってずっと思ってたし、今もその気持ちは変わらない。
だけど、それぞれの道に歩き出す前のこの時間が、もう二度と戻らないものだとしたら。残された一年、さいこうに学生らしく、「肩書のない時代」を楽しみたいと思う。
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