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素晴らしい料理を目の前にしてその作り方を聞くのは無粋だ

ここ最近、月の初めに、これまでお勧めしてもらった本の中から数冊買っています。自分では読まないような本を教えてくれるので、自分の興味の幅を強制的に広げてくれる感じがすごくいいです。

今月は、「美味礼讃」という本をお勧めしてもらって買いました。かなりの本好きの友達に紹介してもらったんですが、彼からの推薦文は「食の小説の中で、未だにこれに匹敵するものがない」とのこと。ちなみにこの本、1994年に文庫された本なんですよ。

この本は、作家・海老沢泰久の代表作で、主人公である辻静雄は、辻調グループ校の前身である辻調理師学校の創始者。大阪読売新聞の記者だった辻が、義父の経営する料理学校を手伝ううちに料理の素晴らしさ、奥深さに目覚め、やがて辻調理師学校を創立、自らも美食家となるまでを描いた伝記です。(*Wikipedia調べ)

今もその本を読んでいる途中なんですが(料理人の思考を時折垣間見れてすごく楽しいですよ)、途中こんなフレーズがあって、自分の考えを改める機会になった箇所がありました。

その場面は、何名かの夫妻を呼んだ食事会で、辻さんがもてなした料理に対して「これはどうやってできているの?」「これは?」というふうに、毎回料理の作り方について聞くある奥さんに対して、参加者のひとりが苦言を呈すシーンです。

「こういう料理を前にしたときは、われわれ素人は黙ってその味を味わえばいいのです。われわれにできることはそれ以外にないのですから」

これまで自分は、「方法」が分かれば「できる」ようになると思っていました。以前noteにも書いたことがあります。

でも、もし自分がその分野において素人だと思っているのであれば、方法なんか知ろうとしないで、黙ってその良さを堪能した方がいいということを、このシーンを読みながら感じました。

辻さんは、その奥さんから聞かれたことに対して丁寧に答えるものの、ふとこう思います。

「素晴らしい絵を前にして、それを描いた画家にこの絵はどうやって描いたのかをきく人間がいるだろうか。きいても描けやしまい」

「じゃあどうやったらできるだろうか」と、考え学ぼうとする姿勢も必要ではあるけど、そういう考え方を一切捨てて、その良さを感じることに100%使うということも、していったほうがいい。

そんなことを学んだので、忘れないようにnoteに書き残しておきます。

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