見出し画像

「料理ができない」は、ポテンシャルしかない

正直、僕は料理ができません。

まず、今日の自分が何を食べたいか決めて、それをつくるための食材を買って、つくるための工程を経て、食べたいものをつくる。そして、食べ終わった後は、食事の片付けをする──。

「料理」には、いろいろな工程を経る必要があります。だから、つくったものにありつけるまでに決めないと進めないことが多すぎて、そして、自分の中の“料理ボキャブラリー”が少なすぎて、野菜一つ取っても、どう切ったり焼いたり蒸したりしたらいいのか分からないんです。

「よっしゃ料理がんばろう」と思ってこの前買ったレシピ本を見ながらスーパーに寄って、レシピ通りにつくろうとしても、「みりんがないけど大丈夫かな?」とか「えっ、ねぎが2種類出てくるけど2種類も必要なの?」とか、その他のアレンジ方法を知らないので、結局使い切れずにもったいないけど捨ててしまうというのも日常茶飯事。

つまり、これまでの自分は「料理」という行動に対して全力で取り組みすぎていて、平日仕事終わりにやるにはハードルが高いと判断していました。

でも、心の奥底では「料理ができるようになりたい」という気持ちもありました。だって、料理ができる男というだけで、ちょっと株上がりませんか?

・・・

ちょうど先週末に、CAREER HACKの野村さんの紹介で、山口さんと美味しいご飯とお酒を飲みながら、料理談義をえんえんとしました(主に、いかに自分が料理ができないか)。

彼女は「一汁一菜」をずっと続けていて、それだけですごいんですが、食(しょく)への飽くなき探究心があって、話を聞きながら「自分にはできないなぁ」と思っていたんです。

自分はいかにめんどうくさがりで、料理のことを知らないかを語ったんですが、同時に、自分は料理の方法を知らないからできないんだということがわかりました。

話を聞いていると、彼女は彼女なりに努力を重ねた末に、食材を見たら工程をパパパッと出てきてその通りにつくったら美味しいものができるようになるのだ、と。

つまり、野菜ならこういう方法を経れば美味しくなるみたいなボキャブラリーを増やせばアレンジもできるし、急な「あの調味料がないからどうしよう……」がなくなるはず!

それって写真で言う「レタッチ」と同じだし、言葉で言う「修飾語」と同じだし。レパートリーを知れば知るほど、料理のハードルが低くなり、もしかしたら面白くなるかもしれない。いつの日か、料理をつくるときに考えなくてもできるようになったら、やっと一人前になるんじゃないかなと思っています。

これから山口さんに少しずつ教えてもらって、料理がんばろうと思います。


0から1、さらには70ぐらいまでパワーアップしていく様を見ていてください。今は「料理ができない」というポテンシャルしかないのだから。

よろしければサポートお願いします! いただいたサポートは新しいサブスクを試すための資金にさせていただきます!