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「料理ができない」と嘆いていた、かつての自分に話したいこと

「半年間で、人は『料理ができない』から『料理ができる』と言えるようになるのだろうか?」

この問いには、自信を持って「できるようになる」と答えられる。なぜなら、27年間「料理ができない」自分自身がそうなったからだ。

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■ 自分は「料理ができない」と思っていた

思えば、「自分は料理ができない」と思った原体験は、母さんかもしれない。母さんは、料理ができる。

栄養バランスを考えながら、自分が食べたいもの、季節の野菜を取り入れて料理をつくってくれる。とはいえ、手作り至上主義というわけでもなく、楽をするところは楽をする(買ってきたものをみんなで食べるとか)。あまった食材は、その時々でアレンジしてくれる。その塩梅もちょうど良かった。

だから、自分はそのレベルを「料理ができる」と思っていて、それができなければ「料理ができない」と思い込んでいた。

高校を卒業して、大阪の大学に行くと決まったとき。母さんが自作の「料理のレシピ集」をつくってくれた。「お母さんのように毎日つくってくれる人がいなくなるんだから、自分でつくれるようにならなきゃね」と笑いながら。

「料理ぐらい簡単にできるし!」と強がって、一人ぼっちで新幹線に乗ったのは、2010年4月のまだ寒い春のことだった。

あんなにやる気があった料理づくりはまったくと言っていいほどせず、新しく買ってもらった料理器具は4年間のうちに数えるぐらいしか使うことなく捨ててしまった。もちろんレシピ集も、初めの数回は使っていたものの、バイトをはじめてからは使わず、情けないことにどこかになくしてしまった。

基本的には家でつくらず、外食をしたり、買ってきたものを温めたり、パスターソースとパスタとあえたりするぐらいの日々を過ごしていた。栄養バランス?そんなの全然わからない。

その間も、たまには思っていた。「いつか自分で料理ができたらいいのに」と。

■ よく見かける「レシピ本」への違和感

「料理ができる人ってかっこいいなぁ」と心の奥底では思っていたので、レシピ本を探しに本屋に行ってみたものの、どの本もどこか違和感があった。

料理とは「買う→つくる→食べる→片付ける」という4つの作業を含んだフローであり、レシピ本では「つくる」に特化している。そのため、料理ができない人からすると、その他がわからなすぎて疲れてしまう。ついていけないのだ。母さんのレシピもそうだった。

普段料理をしない人にとって、まず食材の目安価格がわからない。レシピ本通りに食材を買ってみると、意外に高いことに気づく。買った食材はひとり暮らしには多くて一回で使い切れないのであまってしまう。

でも、そのあまった材料を使った料理がつくれないから、結局捨てることになる。それゆえ、一食分の金額が買ってきて食べるよりも高くつくことが、料理が続かない理由のひとつだった。

それに、巷のレシピ本を見てつくったとしても、自分の思い描いていた「料理ができる」のイメージと違う感じがしていた。レシピ通りにつくればうまくできるけど、その通りなぞっているだけで柔軟さがなく、不自由な感じもしていた。

母さんは、その時々に応じて柔軟につくっていたような気がしていた。どうして自分にはできないんだろう?と思っていた。

■ 山口さんと「週3レシピ」との出会い

きっかけは、2018年夏のことだった。偶然Twitterのタイムラインに流れてきた山口祐加さんの記事を読んだ。

そのタイミングでちょうど土井善晴さんの「一汁一菜でよいという提案」を読んでいたので、身近に面白い人がいるなぁと思っていた。

ある日、共通の友人である野村愛さんに紹介してもらって、3人でご飯を食べたときに、野村さんと自分の2人で「なぜ料理ができないか」という話で盛り上がった。(料理ができる)山口さんは、何度も頭の上に“?”が浮かんでいた。

そこで彼女が提案してくれたのが、「私の家で料理を教えます」だった。

野村さんと2人で山口さん宅にお邪魔して、つくっているところを横目に見ながら、分からないところをどんどん質問した。それに対して「そんなことも知らないの?」と言いながらも、根気強く答えてくれたのを覚えている。そこで、「料理の初期OS」をインストールしてもらった。

その帰り道、山口さんが提案してくれたのが「週3レシピ」という、一汁一菜をベースにした料理の新しい型だった。

「週3レシピ」とは、常備食材に旬の食材や定番食材を5つほど買い足して、週3日の自炊で使い切るためのレシピ。

「料理ができない(けどできるようになりたい)」人間の自分は、山口さんに毎月教えてもらいながら、質問を繰り返しながら、料理の型・考え方を学んだ。そして、週3レシピをはじめてから半年経った2018年末には、「料理できるようになった」と思えるぐらいにまでなった。

週3レシピは、前に悩んでいた「レシピ通りつくった後の食材」を週3回の中で使い回せるので余らない。そこが画期的だった。

まるで算数の虫食い算のように、型は決まっているけど中身は自由に可変可能なので、自分なりのアレンジができる。個人的には、「この野菜はこれに変えても美味しそう」とかアレンジできるという喜びが大きかった。

週3レシピを通して「料理ができるようになった」と感じたのは、「スーパーに行って、野菜を見ながら自分でレシピを考えられた瞬間」だと思う。家庭料理のいいところは、自分の好きな味に調節できるところ。レシピ通りはもちろん美味しいけど、少し味がうすいなと思ったら醤油を加えたり、塩を加えたりできるのも、できるようになったなと感じたことのひとつ。

■ 「料理ができない」と嘆いていた、かつての自分へ

「料理ができない」と思っていたのは、勝手な自分の幻想だったかもしれない。

料理をすることはそんなにハードルが高いものではなく、まずは「一汁一菜」や、それを応用した「週3レシピ」という型から学び、それから自分でアレンジしていけばいいのだ。それに、自炊することが正しいのではなく、つくる時間がなかったら買ったっていいのだ。そこに後ろめたさを感じる必要はない。

有賀さんがおっしゃっていたことで納得したことは、「自分のライフスタイルをふまえて、『どう料理するか』ではなく『どう食べるか』を考えたほうがいい」ということ。自炊は、あくまでひとつの形なのだ。

そして、「料理ができる人」と「料理ができない人」との溝を埋めようと発信を続けている山口さんをはじめ、有賀さんや樋口さん、田村さん、『自炊力』の白央さんのような人たちもいることを知った。

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最近は、イベントが続いて帰宅する時間が23時を越えることがふえた。そのため、週3レシピはほとんどできていない。その代わり、週末はできるだけ料理をするようにしている。

スーパーにふらりと寄って、今月の週3レシピの食材を買って、「これも合うかも」なんて考えて買って試す。うまくいかなかったら、Twitterでできなかったことをツイートすると、アドバイスが来る。この繰り返しが性に合っているなと感じる。

もし、かつての自分のように「料理ができない」と悩んでいる人へ。

まずは、「週3レシピ」を1周してみてください(わからなかったところがあったら、僕か山口さんにリプライください)。

「料理ができる」というイメージにいかに囚われていたかを知り、そこから解放されたときに見える景色は格別。一緒に味わいましょう。

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昨日、三浦くんがこんなツイートをしてくれた。

「料理でつながったバトン」と形容してくれたことがうれしくて、紹介してくれたエプロンを買った。そして、これまでのことを一度振り返ってみようと思い、料理を教えてくれた山口さんへの感謝を込めてこのnoteを書いた。良い料理の師匠をもって、本当に良かった。

山口さん、引き続きよろしくお願いしますね!

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