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お守りとスティグマの間:診断書

適応障害とは、ある生活の変化や出来事がその人にとって重大で、普段の生活がおくれないほど抑うつ気分、不安や心配が強く、それが明らかに正常の範囲を逸脱している状態といえます。

今まで30年程度生きてきた中でしんどいときはそこそこあった。その中でもコロナ禍のときにパワハラな上司に会ってしまったことは多分一番自分の中でしんどい経験であった。明らかな睡眠障害も発症してたため心療内科にも通って睡眠薬と抗うつ剤を処方してもらっていた時期もあった。

そこで初診のときに医者から「診断書書きましょうか」と言われた。反射的に「いりません。まだ大丈夫です。」と言ってしまった。

正直、早朝覚醒は酷いし、仕事でのミスは止まらないし、スマホの検索窓の履歴には「仕事 つらい」という文字がびっしりで職場の人から見ても様子がおかしく心配されるほどだった。

そんな状態であったが診断書をもらったらこの会社で腫れ物に触られるような扱いを受けるだろうと障害者のスティグマ(烙印)を押されるような気がしてしまい、申し出を断ってしまった。当時この辛い気持ちが何に当たるのかと色々な精神障害について調べていたから、多分診断名は適応障害だったのだろうと思っていた。今となっては病院にも行かなくなり確認しようもないが多分そんな気がする。

結果として自分の限界よりも先にストレス源が消えたためそれ以上のことは何も起きなかったのではあるが、あの時もし診断書をもらっていればと思うことが少しある。少なくともそれを会社に出せば今後のキャリアはともあれ仕事内容など配慮してもらえるため生きやすくなるし、パワハラ上司の履歴に傷をつけて一矢報いることもできたかもしれない。診断書はたしかに自分を守ってくれるお守りとしての側面もあった。

多分正解などないのだろう、多分どんな専門家もその時の自分の状態と限界と相談して決めるべきとしか言えないと思う。診断書を出したらその後の会社との関係に全く影響がないとも言うことはできないし、かといって声を上げるのが手遅れになると鬱病だったりより深刻な状態になってしまうこともある。思考が回らず自己否認の気持ちから即断で断ってしまったけれど、自分の場合はほんの少しだけ限界までに猶予があっただけだったにすぎない。多分この考えに至ったことすら生存者バイアスが働いてるだけな気がする。本当にそんなギリギリなラインの気がした。

そんなお守りとスティグマの間で揺れ動く気持ちの中で医者に通い続けた日々を最近少し思い出した。

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