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No.26 『NEC』 戦うべき場所はどこだ

平成の30年をNECの文脈で振り返ると、10年単位で以下の序破急に分けられるような気がする。

すなわち、パソコンや携帯電話、半導体などハードウェアで輝いた時期(〜98年)、ハードウェアの敗北でアイデンティティを見失った時期(〜08年)、ソフトウェアをコアコンピタンスに生き抜く覚悟を決めた時期(〜現在)。

少し前に開かれたIR Dayにおいても、ソフトウェアに関わる事業の説明が完全に首座を占め、ハードウェアは端役の地位にとどまった。

勉強不足を棚に上げて言わせてもらうと、事業の中心がソフトウェアへ移ったことにより、NECのキャラクターを直感的に捉えるのが昔より難しくなったように思う。ハードウェア時代のNECといえば、PC98、デジタルムーバ、そしてバザールでござーる。それではソフトウェア時代のNECとは何だろうか。

現在のNECの本質を一言で整理すると、社会インフラ系ソフトウェア企業ではないかと思う。歴史的に官公庁や地方自治体には強い。これらを相手にデジタルトランスフォーメーションのプラットフォームを提供するところがNECらしい生き方のように感じる。

社会インフラにソフトウェアでアプローチするのがNECあるいは富士通だとしたら、社会インフラをハードウェアで攻めるのは日立製作所や三菱電機、東芝と整理できるかもしれない。ふたつのグループが融合すればグローバルでも競争力のあるプレーヤーに変貌できるのではないかとも思う。

NECについてもうひとつ感じるのは、もはや端役にすぎないハードウェアの残滓をどうするのか。サーバー、企業向けパソコン、ATMなど。ソフトウェアとのセット販売が競争優位に繋がるとはどうしても思えないのだが。

無名の文章を読んでいただきありがとうございます。面白いと感じてサポートいただけたらとても幸いです。書き続ける糧にもなりますので、どうぞよろしくお願いいたします。