どこまで伝えられたらしあわせか

チームの友達と一緒にプロットを咀嚼しました。現在、最終話手前までのプロットは完成し、そろそろネームに入ろうとしているところです。

今まで自分のプロットに誰かの意見が加わることがなかった(相談できる人もいなかった)ので、とってもありがたいなあというきもちでいっぱいです。ちゃんとみんなで作り上げている、そんな実感がある一時でした。

プロットの相談をしていた彼女は、小説やエッセイを日常的に書いている物書きさんなのですが、そんな彼女に「漫画ってどこまで絵で伝えて、どこまで言葉にすればいいかが難しい。出来上がったものがどこまで伝わって欲しいかっていう塩梅が……」と言われたのを覚えています。

確かに。
漫画のいいところは、語れる良さと、語れない良さだったりする。

言葉で語りすぎると、どうしても読みにくくなってしまったり、伝えたいことがまとまらなかったりする。絵だけで伝えることも出来るけど、漫画は人によっての解釈を生みやすいエンタメでもある(とおもってる)。

彼女には「どうやって絵と言葉を分けてるの?」と訊かれましたが、うまくつたえられる自信がありません。ここは表情で訴えかけてほしいとか、雰囲気を大事にしたいから言葉を加えないとか、この言葉を大事にしてるからこういう台詞を入れたいとか、これは絵では伝わらないから言葉にしたいとか。

ぜんぶぼくの感覚でしかないのでしょう。もちろんテクニックを使った上で感覚を頼っています。ですが、始まりはきっとこの感覚だけを頼りにしてきました。
この感覚や手ざわりを、yozorartだと伝えてくれる人ができたらしあわせだなと、密かに思います。
うまくできるかわからないけど、ぼくには心の底から楽しかった6年がついてますから。なんてね。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?