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読書記録009「エーゲ海に捧ぐ」池田満寿夫

 ヘンリー・ミラー関連のブログで知って、興味をもち購入した。

 はっきり言って表題作がいちばん読みにくい。表題作で挫折するひとでも、ほかの二編は面白く読めるということがあるかもしれない。

 と、いうのも表題作「エーゲ海に捧ぐ」は、非常に構図のきっちりした図式的な作品であるからだ。主人公とふたりの女がアメリカの部屋にいる。そこで主人公は、日本の妻が掛けてきた電話を受話器越しに聞いている。この部屋のなかではだれも話をしない。二人の外国の女は、主人公の電話が終わるのを待っているからだ。だから部屋のなかでは時間という概念がない。「時間」が持ち込まれるのは、電話越しの妻トキコの声によってのみである。妻の名前が「トキコ」であるのがなによりの証左であろう。部屋のなかで時間の先と後は分断され、まったく分からなくなる。現実が現実でないような感じで、引き延ばされ、ねじれ、収縮する。こういった舞台装置は、フランスの1960年代の潮流であるヌーヴォロマン的な感じがした。つまりアンチ・ロマン、「新しい小説」。絵画で言えば、セザンヌやピカソの、キュビズムではないが、後期印象派に近い感じであろうか。
 ただ、この舞台設定・あるいは構成自体は、ヌーヴォロマン的にも見えるのだが、この作品の珍奇なところは日本の抒情性を導入している点だ。最初から終わりまでつづくトキコの話が、マジで日本しぐさなのである。分かるだろうか。あの日本独特の、湿っぽいセンチメンタル、私小説風味のじめじめとした語り口、抒情性。更には、それがヘンリー・ミラー的な機銃掃射のように立ち現れる箇所さえある。それはまた瓶詰めされた水と油みたいで、なかなか新鮮である。普通の日本作家ならそんなことはしない。情感のこもった訴えを、モノのように羅列(オブジェ化)してしまうことで、その本質を減らしてしまうことになるからだ。ただ実験的にではあれ、そうやって組み合わせることで、なんとも形容しがたい世界観が構築されているのは確かであり、芥川賞というのも頷ける出来になっているといえるだろう。


 表題作のほかの二編、「ミルク色のオレンジ」「テーブルの下の婚礼」はより物語的だ。

 画家ならでは(?)の色彩感覚と順番の入れ替えられた時間によって「ミルク色のオレンジ」はある種の完成された官能性を描出している。また、いびつなかたちで性的に開花していく少女のグロテスクさは二編に共通している要素としてあるだろう。主人公は一貫して性に貪欲であるが、それをあたかも吞み込もうとする女の混沌として不気味な世界がある。日常の裏側、セックスを通して浮き上がる女性の「妖しさ」というものが、ほとんど幻想文学の領野に踏み込みかねないところまで見えている。色やにおい、ひかりや暗がりは、非常に効果的に用いられている。ここで描かれる不気味さは、セックスを通してしか、性的体験にまつわるかたちでしか出てこない。女そのものが大きくなるのか、それともそれに対する男の認識が奇妙に歪むのか。性的体験を通してみる世界は、まったく日常的世界とは異なる裏の世界の入口なのかもしれない。その連想はさすがにデヴィッド・リンチ的すぎるか……。

いずれにせよ、それなりに楽しめて読めた。

☆冒頭に掲げた、本作に初めて興味を持ったブログはこちら。二年くらいまえ、よく見てました。ヘンリー・ミラーメインですが、たいへん勉強になりました……https://blog.goo.ne.jp/ataka720/c/6c19384ad5782e00a28c59bc20cbadf5

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