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読書記録012「ハイドラ」金原ひとみ

 新宿に住むモデルが主人公であり、舞台設定としてはかなり華々しいものである。が、それと対照をなすかのように、モデルをしている主人公早希の内面はあまりにも暗い。早希は、有名なカメラマンである新崎と付き合っているものの、新崎の淡白な態度やほかの女に乗り換えられてしまうのではないだろうかという不安に絶えず脅かされている。恋愛という実感は薄い。またそこには仕事上の不均衡、新崎はほかの女優やモデルも撮るが、新崎に拾ってもらった形の早希はほとんど彼の専属のモデルとなっていることも関係してくる。二人の関係に不満があっても、恋愛関係の解消は早希にとって仕事を手放すことにもつながってしまうためである。そんな彼女の前に、早希のことをずっと前から好きだったというバンドマン松木くんの登場が登場し、強引な彼のアプローチに翻弄されつつ、早希の心は揺れ動く。

 この物語の見どころのひとつは、早希と美青年リツくんという陰キャ同士の熾烈な争いである。早希と、リツくんは二人とも卑屈で、正面から物を言わず、直接の言い争いなどせず、他人から飼われているかたちで生活している。解説で瀬戸内寂聴が「あなたの描く、現代っ児の会話は実にいきいきしています」と書いているが、早希とリツ君の会話は、陰キャの必死感が伝わってきて実にいい。そこにあるのは同族嫌悪である。自分と同じような性格の相手を認めてしまえば、自分の性格をも許してしまうことになる。決して自分のいまの状態を肯定できない以上、相手を認めてはならないのだ。

 早希の前に現れるバンドマン松木くんは完全に陽キャである。作者は陽キャの定義として、彼を「矛盾のない人」「誰に対しても自分を変えない人」というふうに捉えている(*作中に陽キャ・陰キャという言葉は出てこない、念のため。あくまでそういうイメージの人物像というに留まる)。早希やリツくんとは真逆の人間だ。また早希は、陽キャは利他主義、陰キャは利己主義というふうに考える。しかし実際のところは、陽キャは利己主義に基づいた利他主義であり、陰キャは利他主義に基づいた利己主義であると言えるだろう。そこまでサキは考えを巡らせない。他人の顔色を窺っていく中で陰キャな自分になったのか、それとも元からそうなのか。
 それは「感情をなくしていく過程を撮りたい」と言ったカメラマン新崎の影響なのか。新崎のせいでこんな陰キャになってしまったのか。精神的な歪みは「笑うな」と言う彼によってのみもたらされたものだったのか。しかし早希は、加害者と被害者という関係ではない、と考える。それすらストックホルム症候群的に新崎によってもたらされた歪んだ思考と読めないこともないが、いずれにせよ早希は新崎を加害者と断定はしていない。

彼は種を蒔いただけで、それを喜んで大事に大事に育てていったのは私だった。(p107)

 安易に加害者ー被害者という関係を立てない分、陰の領域に足元を浸しってるとはいえ、早希の揺れ動く思考や行動の軌跡は真正さを帯びる。
 人間にはそもそも陽の部分と陰の部分が共存しているはずである。だからこの小説が読者の普段意識はしていないにしても、存在はしている陰の部分に強く訴えかけ、生の情動を蘇らせてくれるのだ。

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