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自由には、ホンモノとニセモノがあるのかな?って話。

バブル崩壊直後の1994年。夫と2人で暮らす主婦・梅澤梨花は、銀行の契約社員として外回りの仕事に従事し、その丁寧な仕事ぶりで周囲にも評価されていた。一見すると何不自由ない生活を送っているように見えた梨花だが、自分への関心が薄い夫との関係にむなしさを感じていた。そんなある日、年下の大学生・光太と出会った梨花は、光太と過ごすうちに顧客の預金に手をつけてしまう。最初は1万円を借りただけのつもりだったが、次第にその行為はエスカレートしていき……。


お金は人を狂わす。
人を自由にさせる力がある。
ただの紙切れなのに。


お金で得た自由は、本当の自由なのか。
はたまた虚構でしかないのか。


いや、ちょっと待て。
本物の自由とは?
偽物の自由とは?


お金があっても、自由に生きれない人もいる。したいことや想像力、行動力、今の自分からはみ出す勇気がなければ、お金を自由に使いこなせない。


いや、そうでもないか。
その生き方を自ら選んでいる場合もある。


現状から無理にはみ出さなくとも、今の自分が好きなのであれば、その状態こそが自由なのかもしれない。


少なくとも他人に迷惑をかけて、好き勝手することは自由ではない。自由にもルールがある。型があってこその自由だ。


お金の使い方に、善悪はない。明確な正解はない。ただし、お金を手に入れる手段には、ルールがある。型がある。そこを見誤ってはいけない。


綺麗な金、汚いお金と分けられることもある。今使っているお金は、他人に堂々といえる手段で手に入れたお金かどうかが重要になる。


忘れてはいけない。
所詮、お金は紙切れ。


お金を手に入れて、自由を手に入れた気になっているかもしれない。しかし、そんな偽物の自由は、いつかなくなる。


地に足をつけて生きている人からみれば、虚構を彷徨っているみじめな人間にうつってみえることだろう。


***


宮沢りえ演じる主人公・梨花は、見る目がなさすぎる。自分自身が作った虚構を信じすぎる傾向がある。


思考の癖なのだと思う。自分のしていることが間違ってないと思ってしまう癖。自分の考えが正しいと思ってしまう癖。


仕事が出来ず、遊んでばかりいると思っていた若手社員は、ちゃっかり公務員と結婚して寿退社。エロジジイだと思っていた年配のお客さんは、全くそんなことなくて、ちゃんとした人だった。


その事実ホンモノを知ったとき、梅澤は「え?まじ?そうだったの?」といった具合に困惑する。


表面だけの情報で自分勝手に他人のイメージ(虚構)をつくりあげてしまう。そして、それを信じすぎてしまう。自分の都合がいいように解釈しがちの主人公のみじめさたるや。


虚構の中でしか、自分のアイデンティティを保つことができない主人公。お金を浪費し、次第にエスカレートしていく姿は、分かっているけどやめられない怖さがあった。


彼女自身も自分が謳歌していた自由は、ニセモノであることは、頭では理解している。しかし、横領に手を染める前のホンモノの自分のみじめさから、目を背けるために必死だったのだろう。



・こぼれ話

自分でお金を稼いで、少しずつ人生の自由度があがるにつれて、自分なりのルールが必要だと感じます。できるだけ長く人生を謳歌するためにも、自分による自分のためのルールがあるほうが何かとラクなのかもしれません。自分なりの型やルールを設定するところが自由への一歩なのかな?とか思ったり、思わなかったり。

紙の月、面白い映画だよ〜
是非是非〜

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