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『ドライブ・マイ・カー』 『女のいない男たち』

 昨年の映画賞で、外国語部門での受賞ラッシュが記憶に残る作品、面白くないはずはないと思っていながら劇場に観に行かなかったのには理由があります。
その一つは、原作を読んでから観たい、と思ったからです。
というのも原作はあの村上春樹さんですから、映像化に当たってはとてもハードルが高いというか、プレッシャーも相当かかる作業であると思いました。

 タイトルの『ドライブ・マイ・カー』は『女のいない男たち』(2014年)という短編集の中の一つですが、著者本人がまえがきで述べている通り、これはコンセプト・アルバムのようなもので、同じテーマで書かれた短編集です。なので、『ドライブ・マイ・カー』だけ読んでも意味はなく、全編読んでからにしました。
と言ってもすぐに読み終わる分量です。

 村上春樹という作家は好きでも嫌いでもなく、『ノルウェイの森』を25歳くらいのときに読んだきり、彼の作品には触れていません。
それでもビッグネームですから常にメディアでは取り上げられますし、ノーベル文学賞ノミネートの常連でもある方です。
読むには中々気構えが必要なんです。
色々と創作関係での作業もあったり、体調も優れなかったので観る機会を逸してしまいました。
幸いなことに、早々にネット配信されたので観ることが出来ました。

 結論から言いますと、とても素晴らしい作品だと思いました。
そして原作を読んでから映画を観てよかったです。
原作を読むか読まないか、これは究極の選択の一つでもあります。
どうしてもこの作品は原作を読んでから、と思った理由は前情報で映画オリジナル要素が強いということと、『女のいない男たち』に収められた短編をうまく合わせて作られていることを知っていたからです。

 私は個人的に原作をなぞるだけの作り方は好きではありません。
映画は映画の表現がありますし、内容にもよりますが大きな改変があっても良いと思いますし、そうしないと形にならないものもあると思います。
原作との大きな違いは通底するメインテーマである『女のいない男たち』は副次的なものとなり、チェーホフの戯曲『ワーニャ叔父さん』における『絶望からの再生』に焦点が当てられたところで、ラストシーンは現代のコロナ禍をも反映させていました。
それはとても好感の持てるシーンでした。

 原作はとても特異な性体験を軸に男女の関係性を深く抉りますが、そういうのを文章ではなくモノローグもない映像で表現することはあまり得策であるとは個人的に思えません。
文学作品を映像化したものは沢山ありますが、原作を知っている人が画的に補完して楽しむくらいのものが多い気がします。
そういうのは個人的につまらない、と思うものが多い気がします。
その点、この 『ドライブ・マイ・カー』は全く別の作品として、創造的で野心的な挑戦だと思いました。

 原作も映画も面白いと感じた背景には、現在の自分がまさにド直球の、『女のいない男たち』の中年男性の一人であるからだと思います。
一通り色々な出会いや別れを経験し、社会や人間というものも何となく分かってきた頃に訪れる、何とも言えない虚無感。
原作のテーマに忠実であろうとするならば、希望ではなくこの虚無を前面にだすことになったように感じます。
アメリカン・ニューシネマ的に。
『ドライブ・マイ・カー』では、その虚無の先が描かれていたように思います。

 ということでこの作品、特に原作の方ですが、女性はどのように感じるのか興味があります。
映画化に際して行われた原作の”統合”作業、一般化するために男女両方のバランスを取っていますが、まったくそのテーマが無くなったわけではなく、『女のいない男たち』には、それなりに感じるところがあるように作られていると思います。

 原作が先でも後でもこの映画の面白さは多分変わらないと思いますが、原作の面白さは映画の後では減ってしまう気がします。
なので、先に読む方がいいのではと個人的には思いました。

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