理解されすぎるのはしんどい

よく「こんな自分のことを誰かに理解してほしい」「どこかに私のことを理解してくれる人がいるはず」なんて風に思ったりしますが、私なんかは実際、理解されすぎるのが窮屈でしんどいです。自分ですら自分のこと理解しきれてないのに。

私ももちろん、「理解してほしい」と思うけど、それに完璧は求めません。言葉のあや程度のテキトーさでそういうことを口にします。


私の周りの人はみんなバラバラです。

例えば、私は夫とすごく仲がいいけど、夫と私がお互いのことをよく理解してるかというとそうでもありません。全然お互いにわからない部分がたくさんあるし性格も全然違います。それで日々色んなことでもめたりもします。

私は情緒も不安定で、社会にも適合できないどうしようも無さですが、夫はちゃんと働いていて、世間話もうまくできるし、人といることもできるまっとうな人です。どうして、そんな人と私がずっと一緒にいることができるのかと思うと、それはひとえに「夫が優しいから」ということだと思います。

私たちはお互いの感覚がわからなくて、夫は私のようには生きれないし、私は夫のようには生きれない。お互いに理解できない設定を持って生まれて生きてきてるんだけど、一緒に楽しく暮らしています。


これまで私が出会ってきた人で、私のことを深く理解してくれようとした人もいました。「何でも話してね」って言って、全部を理解し受け入れてくれようしてたんだけど、私は、そうなると途端に何も話せなくなって、逃げてしまいます。

どうしてそうなるのかはよく自分でもわからない。けど、そんな風な態度で接してくれるとてもいい人とは絶対にチャンネルを合わせられないと感じます。どれだけ時間をかけてもいい人の期待に沿える結果を導けない自分を感じるのです。

申し訳ない。

たぶんそんな気持ちに尽きるのかもしれません。


人生の大半をいい人からも、色んなことからも逃げることに費やしてきましたが、数少ない友達や、夫、子どもとの出会いは私をその場にとどまらせ、生きる場所を与えてくれました。

身近にいてくれる人達は、いずれも、とにかく底抜けに優しい人です。

私を全然理解できないままでいいとしてくれてる。

些細なことでテンパって一喜一憂したり、台風の目のように人を巻き込んだりしてしまうどうしようもない私の話を聞いて、理解したり、理解できなかったりしながらもそばにいさせてくれる。

時には私のことをしかったり、時には私のことをほめてくれたりしながら、私が台風の目のように、どこかに飛んで行って消滅しないように接してくれます。

私は周りの人にいつも与えられてばかりで本当に申し訳なく思うんだけど、私も何かを与えられてるのかもしれないなとも思います。

きっと話のネタとか、爆笑とか、思い出とか、そんなのだったら与えられているかもしれない。そうやって面白がっててくれたら本望です。

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