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チームラボとファッションの共通点

こんにちは、gattinoです。

先日、豊洲のチームラボに足を運びました。
そこで色々と頭に浮かんだことがあったので投稿させていただきます。

各種メディアで散々取り上げられていますし、これを読んでいる人の中にもすでに体験済みの方がいらっしゃるかもしれませんが、一応作品の概要を説明します。

チームラボプラネッツは、アートコレクティブ・チームラボによる、超巨大な4つの作品空間を中心とした計7つの作品空間による「水に入るミュージアム」。「Body Immersive」というコンセプトの巨大な作品の中に身体ごと没入することによって、身体と作品との境界を曖昧にし、自分と世界との間にある境界の認識を揺るがす。はだしとなって、超巨大な作品空間に、他者と共に、身体ごと、圧倒的に没入する。

一言でまとめると、最新技術を駆使した体感型アートといったものです。

アート、と聞いて真っ先に浮かぶのは絵画や彫刻などの鑑賞物でしょう。しかし、チームラボの作品の場合は鑑賞者に対し、見るだけでなく積極的な参与を促します。

例えばこちらの作品。

画像はhttps://youtu.be/PD4HdutTzHIのスクショ

この空間は床一面が柔らかいビーズクッションのような物体で出来ていて、歩けば足が沈み込み、寝転がれば身体が空間に溶け込んでいくような感触に襲われます。また、自分の身体が空間を変形させ、他者に影響を及ぼしていることを意識させられます。

このようにチームラボの作品は見るだけでは完成せず、自らの身体を使って積極的に参与する事で初めて完成する作品だと言えるでしょう。

これはファッションにも通じることです。

服もどんなに素晴らしい生地を使い、凝ったデザインの服を仕立てても見るだけではその素晴らしさは理解できません。服は着ることによって初めてそこに意味を生じさせます。

服は単なる装飾物でしょうか?
流行を追いかけ、見た目を変化させるゲームがファッションの本質なのでしょうか?

そうではありません。
着飾ることは身体を使い、世界に参与し意味を創出する行為です。

ここで思い出されるのはメルロ=ポンティの身体論です。彼は「知覚の現象学」の中で身体は人間が世界を理解するための媒介だと主張しました。

平たく言えば身体が私たちの世界に対する理解に強く影響していますよ、ということです。逆に言ってしまえば、身体の変化は世界の認識の変化につながります。

このままだと何のことだと思われますので、簡単な例を出します。

今は夏祭りのシーズン真っ盛りですね。その気分を盛り上げるために浴衣を着るというのは有効な手立てでしょう。浴衣を着た時の立ち振る舞いは、tシャツ短パンで過ごす時のそれとは大きく異なります。

足取りはゆっくりとなりますし、ご飯を食べるときは袖が食べ物に付かないよう注意しなければいけません。お祭り会場に向かう電車はもちろん大混雑でしょうね。体が思うように動かない浴衣の時は立っているのもやっとです。

散々苦労するかもしれませんが、あなたがカランコロンと下駄を鳴らしながら会場を歩く時、浴衣の隙間から涼しい風が体を通り抜ける時、夏祭りの思い出は浴衣を着なかった場合とは全く異なるものとして残るはずです。

「世界の認識」が変わると言ってもそれはものの考え方や捉え方が変わる、ということにすぎません。しかし、確かに服にはそのような力があるのです。

ファッションは自己表現のためだけでなく、新たな体験を生む道具にもなり得るのです。

ちょうどチームラボの作品がそうであるかのように、身体に直接働きかけるものは、人々の心に最も響く何かを生み出せるのかもしれません。


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