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ぉゅだよ 中学校保健室登校、不登校、施設登校→夜間高校に入学、家族から離れるために高校…

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ぉゅだよ 中学校保健室登校、不登校、施設登校→夜間高校に入学、家族から離れるために高校生から独り暮らしキャバ嬢 閉鎖病棟2回措置、自殺未遂ICUを経て、何がしたいかもわかんない、

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感傷的ハタチ

気だるい、21歳になる 20歳、ジンセエ振り返ってみて色濃く脳内に染み付いていることを並べ立てた ねぇ、もちもちのハムスター聞いててよ 高3、医師に鬱病ですと言われる ウツビョウ?それってシンドイ人がなる病気じゃないの?わたしまだ大丈夫だよ それから3年経ったがまだ鬱病と一緒にうまく生きていくすべを見つけられていない いつの間にか疲弊していた心と意図的に傷つけた体 「中卒の18歳です」 嘘をついて働いていた店で支障が出ないように 赤い線は服の下ばかりを埋めた

    • 曲名を知らない

      部活で副部長になった 同級生(前記事)が部活に来ないものだから、自分のポジション以外も頑張って覚えた 相変わらず同級生は部活に来ず、先輩達の苛々が募っていくのがわかる 自分以外に向けられる敵意もストレスだった 部長になった3年生 部長になってからはほぼ一人で部活を仕切って後輩を指導し引っ張っていた 悩みも個人個人聞いたし、後輩ひとりひとりと向き合って部活の雰囲気や相続をなんとか保っているような感覚だった 顧問やコーチ、生徒会との連絡も全て一人でこなさなきゃいけな

      • 雨がふらなければ鬱にならなかったかもしれない

        中学1年生、4月が終わる頃私はソフトテニス部に入部した 2つ検討していた部活があったが、小雨の中活動していたのはソフトテニス部、小雨の中走り回る先輩達が楽しそうにみえたのだ 後々 私はあの日雨が振らなければ鬱病にならなかったかもしれないとも思うのだけれど 入部してしばらくすると準備などを後輩の私達がやるようになる ネット張り ボールの空気入れ ラケットの用意 体調は前の記事で書いたようにずっと悪かった けれど私が準備をしないとだれも準備や用意をせず、先輩の視線

        • ひやあせめまい

          毎日お腹が痛い、吐き気がする、目眩がする 家を出る前腹痛でポロポロ毎日泣くようになった その頃には抗不安薬を飲み始めていた 飲んでいたのはレキソタンという薬、8年ほど経つ今も毎日飲んでいる 駅に向かう、心臓がドキドキする 人の目線が怖かった。 毎日足が浮くくらいの通勤ラッシュの中を登校していた ぎゅうぎゅうで簡単には降りられない電車の中、駅につくたび  ごめんなさいごめんなさいと唱えるように謝りながら電車を降りた、人の目線を浴び続けながら。 気が狂いそうだっ

        感傷的ハタチ

          ぴかぴかの中学1年生

          最初に症状が出たのは中学生のはじめ 一年生 まだまだ小学生みたいな体型で中身も年齢なりにとっても幼かった 受験したのは有名な中学校、名前を出すだけで頭がいいのねと褒められた  勉強を頑張ったのね、素行が良いのね、偉いね、将来有望だ、なんて小学生から電車や道でおじさんおばさんに言われていたから胸を張って生きていた エスカレーター式で受験自体は形だけのようなものだったけれど、それでもなんだか誇らしくって。 勉強もすきだった 入学して一ヶ月するあたり 朝 起きられなくな

          ぴかぴかの中学1年生

          毎日

          中学生の私は電車に飛び込もうと思った。 セーラー服 今から何年前だろう 家に帰りたくなくて、朝方まで地下鉄の駅で座っていた日だった 地下鉄で、ゲートがあって飛び込めない、死ねない。 頭がぐちゃぐちゃだったから何がなんだかわからなくてゲートに縋って泣いた、ぐちゃぐちゃに泣き喚いた なんでゲートがあるの、と理不尽に苛立ち、今すぐこの瞬間死ねないことに気づいた絶望 今、今、今、今じゃないといけなかった 今死にたいと泣いた 今死ねないことに泣いた ゲートがあることも