毎日
中学生の私は電車に飛び込もうと思った。
セーラー服 今から何年前だろう
家に帰りたくなくて、朝方まで地下鉄の駅で座っていた日だった
地下鉄で、ゲートがあって飛び込めない、死ねない。
頭がぐちゃぐちゃだったから何がなんだかわからなくてゲートに縋って泣いた、ぐちゃぐちゃに泣き喚いた
なんでゲートがあるの、と理不尽に苛立ち、今すぐこの瞬間死ねないことに気づいた絶望
今、今、今、今じゃないといけなかった
今死にたいと泣いた
今死ねないことに泣いた
ゲートがあることも飛び込もうとした時はもう何もわからなくて、頭の中は「飛び込みたい」しかなかった
暗いトンネルから明かりが向かってくるのを眺めて、飛び込もうとした
そしてぶつかってゲートがあることに気づいた
今思うとアホみたいな話だけれど、ほんとにわからなくなっていた
いのちの電話、みたいなところに急いで電話をかけた
死にたいと強く思ったのがはじめてで、自分でもびっくりしてしまったのだ
電話は繋がらない
朝方だからなのか混み合ってるのか
わからないけれど役に立たないじゃん、といのちの相談電話のメモをホームのゴミ箱に捨てた
それが私の覚えている一番古い「死にたい」感情
ぼんやりと毎日苦しくいなくなってしまいたかったけれど、具体的な死ぬイメージを持つようになるのはその日からだった
文字に起こすことで精算しているような気持になります