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【自己紹介】わたげの本音の過去まとめて話します。



わたげの本音の過去

小学生のとき、いじめと東日本大震災
経験する
中学生のとき、いじめを受け
不登校になり、転校。
・転校先でもいじめを受け、人間不信に。
高校生のとき、元カレである
先輩から性暴力を受ける。
PTSDを発症する
・大学に入学するも、うつ病を発症し、
半年で休学、退学。
1年半引きこもった後、アルバイトを始めるも
仕事ができずクビになる。
2年引きこもる。
・自分の親が毒親と知り、家を出ることを決意
・世帯分離をし、生活保護を受けて家から脱出
・生活保護と在宅ワークの収入で生活
・2023年7月、解離性同一性障害を発症


こんげー、わたげの本音です。

今回は、私の過去を
だいたいまとめてお話します。

今までは思い出したらすぐに
書いていました。

今回改めて話そうと思ったのは、
まとめることで私自身のことを
知ってもらうため
です。

そして今後は、
毒親育ちさんに向けた
情報発信をしていこう
と思います。

以前より更新頻度が
低くなるかもしれませんが、
今後も見守っていただけると
嬉しいです。

小学生:いじめを経験する



いじめが始まったのは、
小学校3年生のときでした。

何がきっかけだったか
分かりません。

いじめの内容は
無視したり陰口を言ったり、
中には私の体を叩く子
もいました。

ハサミを隠されたこともあり、
必死に探したのを覚えています。

どうして自分がこんな目にあっているのか、
どうしていじめられているのか、
どうしても理解できませんでした。

いじめられていると先生や
親に話しましたが、

「気にしすぎ」「自意識過剰だ」
「堂々としていればいじめられない」
などと言われて相手にされませんでした。

小学校5年生のとき、
外靴の中に画びょうを入れられ、
足に刺さりました。

先生は、さすがに問題視しましたが、
犯人は分からず、謝罪を受けていません。

私にも見当がつきず、
真相は闇の中となりました。

先生にも親にも相手にされなかった私は、
ただ絶望することしかできませんでした。

自分はいじめられるほどダメな人間で、
生きている価値なんてないと、
小学生ながら感じてしまったのです。

東日本大震災を経験する



小学生だった2011年3月11日

私は低学年中学年の子と一緒に
学校の掃除をしていました。

いつも通り掃除をしていると、
ゴゴゴと大きな地鳴りがしました。

そしてドン!と下から突き上げるような、
大きな雷が落ちたような音がした後、
バリバリバリ!と音がして横揺れ、
縦揺れが起きました。

地震だ!と驚く私でしたが、
冷静に低学年の子を呼び、
揺れが収まってから避難しました。

体感で1カ月の停電生活。
満足に食べられない食事。
お風呂も入れない。

我慢、我慢、我慢の生活を送り、
やっと解放されたと思った先に待っていたのは、
変わり果てた私の大好きな街でした。

私が生まれた病院も、
私が遊びに行っていた公園も、
映画館もキャンプ場も、
ぜんぶぜんぶ流されて平らになっていました。

あるのは、ガレキと泥だけ。

どうしてこうなってしまったのか、
何が起きたのか、
心から受け入れられないまま
中学生になりました。

中学生、不登校になり転校。転校先でもいじめ



震災を受け入れられないまま、
私は中学校に入学しました。

そこで2年生の先輩に目をつけられ、
いじめを受けました。

部活動に入ったのですが、
わざと集合時間を知らせなかったり、
顔面にボールをぶつけたり、
無視や陰口で私を傷つけました。

目の前で怒鳴りつけられたことが
きっかけで学校に行けなくなり、
不登校になりました。

学校の制服を見ただけで吐き気を催し、
頭がくらくらしました。

それでも学校に行け、という厳しい母からの
精神的な鞭打ちにより、
なんとか着替えて車に乗ります。

学校が近づいてくると涙が止まらず、
体が震えて止まりませんでした。

なんとか保健室に通うことも
ありましたが、
結局家で過ごすことが多くなり、
勉強せずゲームばかりしていました。

これ以上学校に通えなかったため、
別の中学校に転校しました。

そこでもまた、
いじめに遭うのです。

主犯は、親友だと思っていた
幼なじみでした。

今思えば、小学生のときから
私は彼女にいじめられていたのです。

無視したり陰口を叩いたりし始めたのは
幼なじみでした。

なぜ私は彼女を親友だと
思っていたかというと、
その子以外仲良しの子が
いなかったから。

つまり依存していたのです。

自分より私が目立つのを
許さなかった幼なじみ。

あの手この手で私をいじめ、
それを周りには「いじり」だと認識させ、
公認にしたのです。

周りの人たちもまた、
東日本大震災の影響でストレスが
溜まっていました。

私は、ストレスのはけ口に
されてしまった
のです。

親に学校に行きたくない、と言いました。
しかし不登校は許されず、
体調不良を訴えても
休ませてもらえませんでした。

反抗したこともあります。
しかし、親から暴力を振るわれました。

いわゆる虐待です。

頭を叩かれることは
小学生の頃から当たり前のことでした。

中学生になって反抗するようになると、
母もまた倍にしてやり返してくる始末。

人格否定したり怒鳴ったりする説教を、
正座で1時間
受けたり、
ティッシュ箱で叩かれたり、
小遣いを一切もらえなかったり。

とにかくひどいものでした。

「死ね」とハッキリ言われました。
「生まれて生きてきたことが間違っていた」と
言われました。
「殺すよ」と脅されました。

私はどんどん追い詰められ、
気づけばもう何も感じなくなりました。

何を言われても「無」なのです。

そして死ぬことばかり
考えるようになりました。

死ぬために川へ行き、
ぼーっとして、
死ぬ勇気が出ずに
帰宅することを何度か
繰り返しているうちに、
卒業しました。

もう誰も信じない。
友達もいらない。
親とは口を聞かない。

そう心に誓って、
高校に入りました。

高校生、性暴力を受ける


高校に入学するのも
苦労しました。

私が通いたいと思った高校は、
母の母校だったのです。

それだけじゃなく、
母は私に「専門学科へ行け」と
命令を出してきた
のです。

そこ以外は認めない、と。

大喧嘩をして、なんとか説得して、
土下座して、受験しました。

受かったとき、「おめでとう」ではなく、
「受かると思わなかった」と言われた
衝撃は忘れられません。

友達を作らない。
先生、親を信用しない。

そう決めていた私は、
先輩に恋してしまいました。

告白した結果、
付き合うことができたのですが、
たった1カ月で破局。

私は幸せになれないんだ、と
さらに絶望し、
一生分の涙を流しました。

破局から半年後、
先輩が頻繁に会いに来ました。

2人きりで会ってすることは、
一方的な性的行為。

私は抵抗できず、
されるがまま、
受け入れるしかありませんでした。

先輩が高校を卒業した後、
自分は性暴力を受けていたと知り、
何度目かの絶望。

自分の体が気持ち悪くて、
リストカットをしてしまいました。

PTSD発症



ある日、震度4の地震が
発生しました。

それまで地震に対して
あまり恐怖を持たなかった私。

しかしそのときは、
死ぬのでは?と思うほど
恐ろしくて仕方なかったのです。

頭の中には、小学生のときに
体験した東日本大震災の記憶が
走馬灯のように駆け巡ったのです。

私は恐ろしくてパニックになり、
その場に泣き崩れてしまいました。

後日、担任に呼び出され、
カウンセリングを受けました。

精神科に紹介され、
診断されたのはPTSDでした。

そして、これまで受けてきた
理不尽で辛い体験が、
私のトラウマとなって
苦しめていることを知ったのです。

それからトラウマ治療が始まりました。

トラウマと向き合うのは
とてもしんどくて辛い療法でした。

前に進むには、生きるには、
トラウマと向き合うしかなかったのです。

しかし治療が完全に終わる前に、
私は大学へ入学。

病院も先生も変わり、
治療が思うように進まなくなってしまいました。

大学入学後、うつ病発症。退学。



大学に通いながら、精神科へ通院。
薬をもらいながら治療しました。

しかし病状は悪化し、
ついにうつ病を発症。

授業を受けるどころか、
外出することが困難になりました。

そのとき、私は自殺未遂したのです。

人生に絶望し、死にたくて死にたくて
たまらなかった私は、
オーバードーズして死のうとしたのです。

結果は失敗し、こうして生きています。

大学を休学し、実家に連れ戻され、
まともに生活できないまま
時だけが過ぎていきました。

ついに大学に行くお金がないと
親に告白された私は、
泣く泣く大学をやめることとなったのです。

1年半引きこもり、アルバイトをクビ



辞めた後は、自動車学校に通って
運転免許を取得したり、
アルバイトをしたりしました。

アルバイトしたものの、
仕事ができず、体力もなく、
クビにされてしまいました。

いよいよ私はダメ人間だと思い、
また死のうと決意。

しかし死ぬことが怖くなり、
実行できぬまま2年経ちました。

自分の親が毒親と知り、家を出ることを決意



引きこもっている2年間は、
ネットばかりしていました。

自分の気持ちを書いて投稿したり、
小説を書いたり、
ネットの人と交流を持ったり。

そうしているうちに、
自分の親が「毒親」だと
友だちに指摘されました。

毒親の存在を知らなかった私は、
はじめて調べてみることに。

面白いほど当てはまる毒親の特徴。
まるでお手本ではないか?と
笑えてくるほどでした。

私がしんどい思いをしてきたのは、
毒親のせいだ。

私はそう理解しました。

私は通っていた福祉センターに、
どうにかして家を出たいと
話しました。

そこで提案されたのが、
世帯分離をして生活保護を受け、
家から出ることでした。

世帯分離をし、生活保護を受けて家から脱出


詳細は、別記事と動画で紹介しているので
割愛します。

生活ぶりはこちらの記事と動画で見れます。


生活保護と在宅ワークの収入で生活


現在も生活保護と在宅ワークの
収入で生活しています。

治療に専念しつつ、
社会復帰のために頑張ってます。

2023年7月、解離性同一性障害を発症



2023年7月、私の中に人格が生まれました。
9歳、14歳、19歳の3人です。

はじめは戸惑いましたし、
受け入れられませんでした。

自分の意志に逆らって解離があるので、
苦しくて辛かったのです。

周りの人を傷つけてしまわないかと
怖かったのを覚えています。



現在人格は7人に増え、にぎやかな生活を
送っています。

2023年11月、youtube投稿を始め、Vtuberになる


2023年11月から、
youtubeを本格的に投稿し始めました。

はじめはVtuberではなく、
個人のエッセイを動画にしたものでした。

現在はVtuberとなり、
自分の過去を話しています。

これからは、過去の経験を分析して
学びを発信したり、
心理学を勉強して心理学的にどうしたら
生きやすくなれるかを発信していくつもりです。

まとめ


わたげの本音の過去

・小学生のとき、いじめと東日本大震災を
経験する
・中学生のとき、いじめを受け
不登校になり、転校。
・転校先でもいじめを受け、人間不信に。
・高校生のとき、元カレである
先輩から性暴力を受ける。
・PTSDを発症する
・大学に入学するも、うつ病を発症し、
半年で休学、退学。
・1年半引きこもった後、アルバイトを始めるも
仕事ができずクビになる。
・2年引きこもる。
・自分の親が毒親と知り、家を出ることを決意
・世帯分離をし、生活保護を受けて家から脱出
・生活保護と在宅ワークの収入で生活
・2023年7月、解離性同一性障害を発症

長くなりましたが、
これが私のだいたいの過去です。

個人情報を防ぐために、
ぼかしている部分もありますが、
だいたいこんな感じです。

書き出してみて思ったのは、
なかなかハードな人生を送っているな、でした。

10代でどんだけ辛い思いしなきゃ
ならないくらい、
前世は何かしでかしたのでしょうか。

前世を知らないので分かりませんが、
殺人鬼だったら納得できますね。

そうじゃなきゃ、
こんな辛い人生やってられません。

こんなハードな人生ですが、
現在は幸せを目指して生きています。

具体的な幸せの定義は、
自分の人生を生きること。

親の干渉を受け入れず、自分で選択し、
マイペースに生きることです。

まだまだ実現に至っていないので、
幸せになるために頑張ろうと思います。

今回はここまでです。

最後までお付き合いいただき
ありがとうございました。

それでは、おつげー。

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