白を塗る

イジン伝~桃太朗の場合~まとめ(VIII-XIV)

 犬村は口を拭って袖口についた血を見、顔をしかめた。「どういうこと」
 彼女は高く持ち上げられた鬼の片腕を踏み台に、今や大きな繭を形成したもう一方の腕に飛び乗った。繭は少したわんで彼女を受け止める。その間、鬼は硬直して動かなかった。高所から見下ろし、犬村は朗を認め胸をなでおろした。すぐ下まで来た朗は彼女に向けて手を伸ばし降りるよう促した。
「犬村、大丈夫なのか。さっきまでぐったりしていて俺たち心配したんだ」
「大丈夫よ、ありがとう。実は私にもよくわかっていないの。木地川と〈ハシカベ〉まで辿り着いたところから記憶が曖昧になっていて」
 話を続けようとする彼女を遮って木地川は咳き込み咳き込み訴えた。
「とにかく早くここから逃げないと。鬼の奴らがすぐそこまで来てるんだ」
 彼の背中をさすり肩を組んで立ち上がらせながら、猿野は青い顔でにやり笑って言った。顎で固まったままの鬼を示す。
「我らが女王陛下はこの通り神通力をお持ちだ。陛下、あいつらも手懐けてはくれませぬか。我ら下々の者をお救い下さい」
「もしそんなことが可能だとしても猿野、あなたは希望を捨てることね」
 朗に受け止められ地表に降りた犬村は蕩けるような笑みを彼に向けた後、冷ややかに猿野を睨んだ。
「二人共何してるんだ。さあ」
 四人が走り出したのを見計らったように鬼が再び動き出す。人型に戻り……。
 戻り切らないうちにそれは鬼の集団に飲まれてしまった。いや、もはや集団と呼ぶことは適当でない。一集合体となった鬼は針金を無造作に絡み合わせ自然、グロテスクを現出せんとする。縦に長く伸びる屈曲自由の体、それを支え地面を這って前進させる無数の足、触角を模して頭部についたうごめく腕。鋼鉄の百足に似た巨大な疑似生命体は本能たるプログラムに従って朗たちの追走を開始する。
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「昔々、鬼ヶ島におじいさんとおばあさんがおりました」
 朗のいる教室では、クラス替えが行われる度に決まって誰かがそう語り始める。この「昔々~」という語り出しを誰が考えたか知る生徒はいなかったが、それは不思議としっくりくるようでみんな「昔々~」と朗の噂を語り始めるのだった。「昔々」は朗の成長にしたがって八年前を示したり、十二年前を示したりした。
「おじいさんは毎日どこかへ出かけていき、おばあさんは毎日おじいさんの持ち帰ったもので丸い団子を作っていました」
 その日休み時間になって声を張り上げたのは赤鼻の少年だった。ちょうど授業参観が終わったばかりの時間、彼は噂が真実味を帯びる最も効果的なタイミングを選んだのだった。自分に注がれるクラスメートの視線が気持ちよくて、彼はより饒舌になっていく。
「ある日、おばあさんはまだ太陽が点灯する前に目を覚ましました。いつも起きる時間は早かったのですが、その日はまた一段と早く起きてしまったのでした。何か良いことがありそうだという予感がしたのです。おじいさんは昨夜家に帰ってきませんでした。そういうことは時々あったのでおばあさんは心配していませんでした。この時は帰りの遅いことがむしろ吉兆の前触れのような気がしておりました」
 朗々と語られる物語を聞いて、クラスメートの脳内では先程まで教室の後方に立っていた老夫婦の姿が鮮明に思い出されていた。そして視線は徐々に老夫婦が目を凝らして見つめていた朗へと移っていった。朗はもう慣れっこで、机の上を片付けて引き出しにしまうと廊下へ出ていってしまった。同じタイミングで一人の少女が教室を出ていった。背の大きな白肌の女の子。
 本人不在のまま物語は核心へと近づく。少年は頬を小指でかいて教室を見回した後一度咳払いをした。
「お昼を過ぎてさすがにおばあさんも心配になってきた頃、大きな袋を引きずるようにして歩いてくるおじいさんを見つけ、おばあさんは駆け寄って手伝おうとしました。おじいさんはそれを止めて、隣に座るよう言いました。いつもはひげをいじりぼそぼそと話すおじいさんでしたが、その時はとても嬉しそうに弾んだ声でありました」
「『ばあさん、わしは遂に見つけたんじゃ』
 おじいさんは鼻息荒く袋を開いて中の物を転がし出しました。それはそれは立派で大きな桃が姿を現します。大きな桃は時折おじいさんが運んでくるので何度も目にしていたおばあさんでしたが、その時は目を丸くして素っ頓狂な声を上げました。
『こりゃまあ。中から赤ん坊の泣き声がする』」
――猿野君、それ本当なの――
 少年は隣の席の女の子に聞かれて「さあね」と肩をすくめてみせた。授業で見た古典映画で、変わった帽子を被った男のその仕草が猿野は気に入っていた。腕を広げて眉を引き上げながらクラスメートたちに語りかける。
「でもみんなも見たろ。桃太君のお父さんとお母さん。あんなに年寄りなんてことありえないでしょ。だから俺はこれ、マジなんじゃないかって思ってる」
 神妙な顔を作った後、にかりと崩した不敵な表情は取りも直さず西部劇ガンマンの真似だった。詳しく教えてほしいと寄って来る連中は少なくなく、猿野は仕入れておいた話を思い出し意気揚々と語った。
 桃ばあと桃じい(朗の両親だ)は天然の素材にこだわる薬剤師であること、その丸薬を朗は朝晩健康のためだと飲まされていること。身振り手振りを加えて話した猿野だったが、どういうわけか目を輝かせて近づいてきた生徒たちの反応が薄くなって一人また一人と自分の席へ戻っていってしまう。朗の話はもはやこの学び舎で鉄板ネタとなっており、よほどの情報でない限りほとんど全員が知っていたのである。
「これはとびっきりの情報なんだけど」
 猿野はたまらなくなり、トドメにとっておいた話を披露する。
「桃ばあと桃じいは朗をどこかから誘拐してきたらしいんだ。二人共あの歳で赤ちゃんなんて産めっこない。それでもどうしても子供が欲しかった桃ばあは桃じいに頼んで赤ん坊をさらってきたってわけさ。それはたぶん、そう、【ハシカベ】の方からさ。あそこは何でもありの無法地帯だって聞くからね」
 勢いを失った彼は見切りをつけられ話し方も次第にしどろもどろになっていった。赤面を隠そうとしてうつむけた顔を再び上げた時、彼の側には誰もいなかった。隣の席の女の子が少し離れたところで白い目を向けていたのが彼には一番堪えた。
――他人の噂話で注目されようとするとか、サイテーだよね――
 猿野は「ちょっとトイレ」と誰に対してでもなく呟いてそっと教室を出た。背中にみんなの視線を感じていた。
 「とっておき」だと言っていたあいつが嘘をついたに違いなかった。捕まえて責め立ててやる。そう思いながらも彼は先程の情けなさを引きずって泣きそうになるのを必死で我慢していた。だから猿野は腕を掴まれた時、驚いて飛び上がりそうになった。「な、なんだよ」
 彼が振り返るとそこには目を泣き腫らした眼鏡の少年が立っていた。猿野はほっとして少年を睨み返す。「なんだ、木地川か」
「俺になんか用かよ」
 木地川の怯えた様子が自分をなおさら情けなくするような気がして、猿野はずいと彼ににじり寄った。体の小さな彼が迫って動じるのは女子を含めても木地川くらいしかいない。赤い鼻をひくつかせて猿野は上目遣いに木地川を見上げる。
 けれど、今日の木地川は数歩退いてからはもう、頭を振るって「~~~~」と言葉にならない声を出して前進に転じ、猿野には止められなかった。そもそも木地川は猿野より頭一つ背が高く、勝敗の行方は誰の目にも明らかだった。
 木地川は猿野のつむじに生える若白髪が見える位置まで詰め寄った。チャイムが鳴る。それを好機と横をすり抜けようとする猿野の襟首を木地川は捉え「こっち」と力任せに引き連れる。
「こっち」
 教室とは逆側へ向かう彼らにすれ違う生徒たちは訝しげな視線を送るが、木地川は我関せずの一心である。そのまま教室棟を出て渡り廊下、昇降口を通り過ぎる。
 ようやく二人が止まったのは薄暗い体育館前だった。窓張りの昇降口は明るく乾いていたから木地川が指差すトイレはいっそう陰気臭く秘密めいていた。中からは男と女の声がする。漂う空気は周りより数度低いようで猿野の足は早くも先から冷え始めていた。
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 朗はほとぼりが冷めるまでトイレで時間をつぶすことにしている。両親が高齢であることをからかわれるのは初めてではなく、この種の悪目立ちは放っておけばすぐに収まってしまうことを知っていた。彼の方から深く関わっていかない限り、「おかしな子」というレッテルを常に貼られているだけで、騒がれることはほとんど無くなる。人は自分に興味を抱かないものに対して興味を抱かないものだ。
 授業までの間姿を消しておけばとりあえずは問題ない。数日間はこれを繰り返す必要があるかもしれないが、所詮その程度の我慢をすればよかった。しかし、今回はそう簡単には収まらないかもしれないと朗は思った。問題は周囲にあるのではなく、朗自身の動揺にあったからである。
 自分ではなく両親が直接揶揄されたことに朗は屈辱と怒りを感じていた。授業参観を終えた父兄たちは現在、体育館に集められ学校長であり、この島の首長でもある鬼怒井から今後の教育方針について説明を受けている。少子化と人口減が止まらない現状を変えるには若い世代に働きかける必要があるとかないとか。
 彼は教室棟を出て職員室に顔を出し、体調不良を理由に一時間授業を休むことを申し入れた。許可を得ると朗は体育館とは反対方向の特別教室棟へ足を向けた。今両親と会えば自分の感情が爆発してしまうと彼は考えたのだった。
 特別教室棟は無人だった。授業参観で特別教室を使用するクラスが多かったから、それが終わり皆各々の教室に戻って授業を受けているのだろう。朗は音楽室で気持ちを落ち着かせることに決め、ゆらりと化学準備室に倒れ込んだ。
 今までひっそりと彼の後ろをつけてきた人影が慌てて準備室のドアを開け放った。「桃太くん」
 そこには倒れているはずの朗はおらず、中央に大きな机、その上に前の授業で使用したと思われるアルコールランプが十基、それと同数の空になった試験管セット。壁際の鍵のかかった棚には様々な薬品が収納されている。カーテンが閉まった薄暗い室内に人気はなく消火栓ボックスのランプが少女とドアの隙間から差し込んで赤い線をリノリウムの床に投げかけていた。カーテンと窓の僅かな間から入る日光がゆらゆらと影を作っている。
 恐る恐る足を踏み入れた少女は「桃太くん」と呼びかけ、仔細に部屋の中を物色する。準備室はきれいに片付けられ男子中学生が隠れられるスペースなどないように思われた。彼女はすぐに奥まで到達し途方に暮れる。一体彼はどこに行ってしまったのか。彼にはどうしても聞かなければならないことがある。
 部屋を明るくする必要があると考えた少女は蛍光灯のスイッチを探そうとしてふと気づいた。カーテンを開ければよいではないか。ぱたぱたと揺れるカーテン。そこで彼女はある可能性に思い当たり、青ざめてカーテンに飛びついた。めくると思ったとおり窓が人一人通れるくらいに開けられていた。ここは二階、地上までの高さは数メートルある。彼女は悲鳴を上げた。

まだまだ完結までは時間がかかりそうなのですが、完結版は加筆修正して投稿しようと思っています。

※『イジン伝~桃太朗の場合~まとめ(I-VII)』はこちら。

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