きみは短歌だった

第一回笹井宏之賞受賞のスピーチ原稿

本日(3月3日)は、第一回笹井宏之賞の授賞式でした。会場でお目にかかりました皆様ありがとうございました。お一人ずつご挨拶しきれず申し訳ありません。
当初「2分間のスピーチを」というお話だったのですが、賑やかで盛り沢山な会でしたので、当日は私を含め、皆さん短めにお話しする進行でした。

ですので、実際にお話しした内容より少し長めですが、用意していたスピーチ原稿をnoteに掲載致します。特に御礼の部分と歌集出版の部分については、会場にいらっしゃらなかった方にもお伝えしたいと考えていましたので、お読みいただけましたら嬉しいです。

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ただいまご紹介にあずかりました、柴田葵と申します。このたびは、笹井宏之賞の第一回目の大賞受賞という大変光栄な機会をいただきまして、未だに信じきれない思いです。選考委員の皆様、主催の書肆侃侃房様に厚く御礼申し上げます。また、結社にも所属せず、自分のペースで短歌にしがみついている私を、いつでも温かく迎え入れてくれる育児クラスタ短歌サークル「いくらたん」の皆さん、同人「Qai」の皆さん、そして家族に、感謝の気持ちを伝えたいと思います。

受賞のご連絡をいただいたときの、なんとも言えない衝撃はよく覚えております。良いことも、そうではないことも、常に何が起こるかわかりません。それでもより良い日々になるように、私たちは考え、悩み、そして選択をします。しかし残念ながら、自分自身に選択する余地のないことも多くあります。
これまで、私が選ばなかった方・選べなかった方の「自分」は、今、何をしているんだろうと考えることがあります。例えば、私は生まれる直前まで男の子だと言われていました。両親は私に男の子用の名前を用意していました。なぜ私は男として生まれてこなかったんだろう、男として生まれるはずたった私はどこへいってしまったんでしょうか。二十一世紀のこの現実世界で、女性として生きることが苦しいとき、特にそう思います。

人間は現実には一人ですが、現実から消えていった自分自身に思いを馳せ、その自分たちと共に生きていくことはできます。そのように、たくさんの自分を抱えて生きていくなかで私は、ベン図のように誰かと繋がる感覚を持つことがあります。私の選べなかった方の「私」はあなたとよく似ていて、あなたが選ばなかった方の「あなた」は、私かもしれません。私たちは理解しあえませんが、ごく一部を共有することはできるかもしれません。共有することは、余計なお世話かもしれないし、苦しいかもしれないし、面白いかもしれません。私はこれからも、たくさんの自分を歌にしていくと思います。

このたび副賞として、書肆侃侃房様から歌集を出版していただけることになりました。良い本になるよう、できれば新しい風を吹かせる一冊になるよう、精一杯取り組みたいと思います。以上で挨拶に替えさせていただきます。今後ともどうぞよろしくお願い致します。


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