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【入りこむ①】 惣菜パン惣菜パンひとつ飛ばして窓、そこらじゅう夕日が殴る/柴田葵

「パンが並ぶパン屋の窓はパンがある限り開くことはない」ということに気がついたのは、大人になってからだ。

実存するパン屋は客商売なので、ある程度人通りのある場所でないと成立しない。そして、人通りのある場所は大抵埃っぽい。剥き出しのパンが棚にある以上、窓があっても開けることはできないのだ。

アパートのはす向かいにある小さなパン屋は、男性が一人で切り盛りしていた。商店街の一角、学生たちが通る道沿いにあるので、ある程度は売れているらしい。土曜の朝、卵サラダロールを買ってパン屋を出たらばったり大家に会ってしまって、なんだかんだ、パン屋の嫁は二年前に出ていったことを知ってしまった。特に知りたくはなかった。

杉の木はどこにも見えないのに杉花粉が飛んでいるらしく、商店街の半分の人はマスクをしている。心なしかメガネをしている人も多い。ごくたまにゴーグルをしている人もいる。

これじゃ、パン屋の窓はいよいよ開けられないな、と私は思う。

私はパン屋の窓が開いているところを見たいのだ。ある日、あの温かみのある細長い木枠は全開になり、カーテンがはためき、その凄まじい風のなかに整然と並ぶパンたちを想像するだけで、なんだか勇気が湧いてくる。もう泣きそうだ。けれども、私はパン屋のなんでもない。従業員でも出ていった嫁でもない。そんな人間のために窓は開かない。

パンを購入するとき、私はパン屋の客になる。客であれば、少なくともパン屋に入ることは許される。私は人間だから、許された場所にしか入ることができない。違うな。入りこむ人間もいて、拒む人間もいて、そして私には圧倒的に勇気が足りない。こんにちは。私は卵サラダロールが好きです。閉ざされた窓からは夕日が勝手に入りこんでいて、その頃になると全てのパンは半額になるのだ。


◇短歌◇

惣菜パン惣菜パンひとつ飛ばして窓、そこらじゅう夕日が殴る

/柴田葵

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