【鍵を返す①】 カフェラテの泡へばりつく内側が浜辺めいてもドトールここは/千種創一
恋人だった人は短歌が好きだったらしい。
あの人は短歌の本を何十冊も持っていたから、共に暮らした一年半のうちに三冊ぐらい僕も読んだ。教科書で習ったことのある俵万智と、エッセイを目にしたことのある穂村弘の本。そして、やたら格好良い装丁だった、千種創一という人の短歌の本だ。不思議な本で、厚さの割に妙に軽かった。ざらざらした薄灰の紙が束ねられているようなつくりで、遠い記憶や遠い土地からひっそり持ち帰ってきたもののようだった。
僕が大阪への転勤することが決まったのは先月だ。そして僕らは別々に暮らす選択をした。それ自体は、取り得る選択肢の一つに過ぎない。問題はなぜ、別れを選択することを「迷わなかったのか」ということだ。僕も、あの人も。
いつのまにか恋人になった僕らは、とても仲が良かった。良かったように思う。夏以外の季節にはたびたび海へ向かった。夏の海は社交的すぎる、夏だからって慢心している気がする、とあの人は言った。
なぜ別れが秋葉原の煙草臭い喫茶店なのか、なぜあの人は先に帰ってしまったのか、なぜ僕は引き止めなかったのか、なぜ僕らは一緒に暮らしていたのか、いつから僕らには未来がなかったのか、どうしよう、僕には全然わからない。
僕もあの人も、ひどいやつなのかもしれない。
◇短歌◇
カフェラテの泡へばりつく内側が浜辺めいてもドトールここは
/千種創一「白樺ノ南限」 歌集『砂丘律』青磁社
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