見出し画像

鏡の中のアリスたち

SNSで大量に放出されるデジタル写真というイメージはどこから来てどこへ行くのか、ずっと気にしていた。ずっと考えてた。

江本典隆 写真展   「#らぶりつください」                                      2019年5月4日(土)〜5月26日(日)

MAKII MASARU FINE ARTS

あなたが携帯で撮った写真について

 2016年のart photo Tokyo で見た Android 社の携帯の写真検索アプリの紹介でもある展示、The missing photo android を見たときに、部屋中にうず高く積まれた写真を見て「あなたの携帯1台でこれだけ撮れるんですよ。検索は大変ですよね(=だからうちのソフトを使ってね)」という宣伝のインスタレーションだったと思いますが、アホなことにその時に見たart photo Tokyoの写真が全部ぶっ飛ぶくらいインパクトがあった。(つまり、他の展示が全て頭から抜けてたという。。。)

 その話をタカザケンジゼミ1期で話をした時に、Erilk Kessels の「24HRS of Photos 」(Flickerに24時間uploadされた写真を実体化=プリントするインスタレーション展示)も教わり、デジタル写真でのSNSにアップロードした写真の行方というか、その莫大なあの写真達のその存在価値みたいのを考えてました。あんな風に「モノ」としての量を私達は実感できないくらい(実際に見てびっくりしてるということは)デジタル写真は撮られている。あの頃は、「何を撮ればいいのか」を必死に探っていた時期だったので、「何が写っているのか」ではなく、「写真の物質化」を目の当たりにして、かなりショックが大きかったのだと思います。デジタル写真の物質化、2次元→3次元化(イヤイヤデジタル写真って何次元?実態がないから0次元?)ってのはものすごく強烈なインパクトがありました。そういえば、自分も、大学在学中に提出したレポートでデジタル写真について書いた時にこう書いたのを思い出しました。「携帯電話で写真が撮れるようになった時、人は無意識に、まるで毎日歯を磨くのと同じように、目の前のモノを写真にとりあえず撮るようになった」

 ではあの写真達はどこから来てどこへ行くのだろう?ずっとそう思っていました。

 前置きが長いですね、すみません。

だからこそ、江本さんが
「自撮り写真」からのデジタル写真(SNSにアップすることが目的)に対しての問題提起はかなり興味があったわけなのです。

 しかも、「自撮り」なおかつ、

「フィルター」や「修正」かけている「自分」(=現実の自分でない)であること。
そしてそれを
「#らぶりつください」とハッシュタグをつける こと(=favが欲しい、Retweetして欲しい)

これは見たい。見逃せない。初日にイベント対応でGW出勤だったのにもかかわらず早めに抜けて、行ってみました。浅草橋のMAKII MASARU FINE ARTS は初めて行きました。

歪んだ鏡

 壁にはびっちりと彼らの「自撮り写真」が隙間がなく貼られています。
その合間をぬうように、江本さんが撮ったiPhoneでの写真が入ってる。

壁がものすごいことになってました。
その江本さんが撮った写真は、自撮り写真(=自分にカメラを向けて撮ってる=内側へ向かった写真)の間をiPhoneで撮った(=彼らが自撮りを撮ってるカメラ)で風景(=カメラは外に向けてる)があり、それはつまり、自撮りの彼らが見ていた風景を疑似していると、江本さんが在廊していたので伺うことができました。壁いっぱいに貼られた「承認欲求」の間にある、「窓」みたいなものでした。そう、そう、Mirror and windowsっていうのもありましたよね、「鏡」と「窓」そう、壁いっぱいの

「ゆがんだ(=修正してる)鏡」

だけだと息がつまるようだったのが、少し小さな窓が開いていて、私は息継ぎをやっと出来た気がします。

 江本さんの話によると、200人くらい(以上?)の自撮りの #らぶりつください  の人に、一人一人DMを送って、この展示のプロジェクトの説明をして、それを理解して、展示や展示写真の販売や肖像権をクリアーした 70名程度の人を今回展示しているのことでした。それもすごい。
それをやりとげた江本さんすごいです。ちゃんと書類で契約書的なもの?を作ってサインをもらったと言ってました。今回の写真も「彼らが撮った」 写真を使用してるので借用料もお支払いしてるとか。すごいです。プロジェクトとして完成度がすごいです。また、話を聞いてると、彼ら、彼女らは、こんなに、自意識の高い、承認欲求が高い人で、匿名でありながらも、実際にやり取りをしてみると、みんな社会的常識のある人も多かったとのこと。

 いや、でも江本さん勇気ある。全部実名で突っ込んでいったらしい。
「メールとか連絡先を実名でやったので、逆に信用してもらえたのですが、それを晒したりするような人がいるかなと思ったのですが、今回はいなかったです」とニコニコして言ってましたが、私はあなたが逆に怖いです。なんでそんなに無鉄砲なのでしょうか。カッコいいですが。。。。
 また、彼ら彼女らのバックグランドを少し聞いたのですが、それもすごかったです。私が聞いたのはほんのさわりですが、それもかなりカオスとなってて、面白かったのです。個人的な話になるので、あえてここには書きませんが、世の中にはいろいろな人がいるんだなとか思えるような興味深い話でした。これは今度トークショーとかあるみたいなので、ぜひそれに参加してみてください。

本当の自分とは?

私はずっと、壁の写真を見て考えてました。
壁の自撮り写真はほぼ「修正」してあります。
「現実的な自分」でないのです。彼ら、彼女らはそれを

「みんなに認めてほしい」(=favがほしい、Retweetしてほしい)

とSNSに出している。

 その承認欲求は痛いほどわかります。

人間は「誰かに認めてほしい」生き物なのですから。

 もちろん、私もそうです。facebookの「いいね!」twitterのfav やRetweet はほしいです。
それがたくさんあるほど「自分の存在価値」があるような一種の勘違いも理解できます。

でも、ここに写ってる彼ら、彼女らは

「今の本当の自分」ではないわけです。

それを認めてもらっても
「リアルの自分」との乖離がどんどん発生していかないのかな??
逆に、「リアルの自分」が辛くならないのだろうか?そんなことをぼんやりと考えていました。

早く見ている夢から覚めたい?

 逆にもしかしたら、
この「自撮り写真(かなり修正されている)」自分が「本当の自分」なのかな?とかも思ってきました。

 映画の「マトリックス」でいうところの「人間をカプセルの中に閉じ込め、人間の精神のみを仮想の現実の世界で生かすこと」みたいなもので、 つまり、彼ら彼女らが今生きてる世界(現実の世界は)カプセルの中に閉じ込められて見せられている「仮想の世界」であり、本当の「自分」はこの「(修正しまくった)自撮りの自分」であり、彼らは仮想世界(現実)の方から「早く目覚めたい」のかもしれない。 

 この「ゆがんだ鏡」の自撮りは
実は「(自分が信じ込んでいる)本当の自分」を思い出させるものとして 彼ら彼女らの「(仮想世界を生きていくための)心の支え」なのかもしれない。だとしたら、彼ら彼女らは、SNSにこの自撮り写真を大量に流し、そしてシェアしてほしいと思ったのは、待っていたのかもしれない。

「自分を救ってくれる誰か」を。
「夢から目覚めさせてくれる何か」を。

私は彼ら彼女らは、「鏡の国に」入ってしまったアリスのようにも見えました。このツマンナイ、どうしようもない世の中、このからだ、この顔、この境遇、現実のものすごい問題にあたふたしてる、耐えられない この目の前の世界から

「早く、目が覚めたい」

アリスは目が覚めて子猫にいうんです
「ああ、夢だったのね」

わからないけど。

 今回展示している70人の彼ら、彼女らは今回の展示を思いのより、喜び、嬉しがったそうです。「自分の自撮り写真がギャラリーで展示される」「販売もしてくれる(彼ら彼女らにもお金が払われるそうです)」「もしかしたら写真集になるかもしれない」というのは、彼ら彼女らが大量のSNSに流した写真はどこかへ流れていってしまうのではなく

ある写真家がすっと優しく拾い上げてくれました。

ホッとしたんじゃないかな。
「目覚める」ことはできなくても

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

《トークイベント》
5/18(土)17:00〜
江本典隆×鳩岡桃子(アニメ雑誌編集者)
無料・予約不要


48歳からの写真作家修行中。できるかできないかは、やってみないとわからんよ。