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夜間思想専用受取口

 優しさというテーマについてよく考えている。まあ、大学生五年生にしてこの前バイト初出勤にも関わらず寝坊かました人間が考える事なぞたかが知れており、考える時間があるなら資格の勉強でもした方が確実に身の為になると思う。ただ、身の為になることを第一に考えて行動するような人間は、そもそもとして大学五年生にはならないし、こんな後々読み返して黒歴史になることが確定しているようなnoteは書かないであろう。そもそも俺という人間は人というよりゴブリンとかに近い人間性をしているし、大学にまで通ったにも関わらず世間一般の常識やマナーをほぼ知らないので、ならずもの界のスーパーエリートとして将来を嘱望されている。言うまでもないことかもしれないが、ならずもの界で将来を嘱望されている人間に対して一般社会が掛けてくれる期待等は欠片も存在しないだろう。すごく悲しいが、この世の真理である。前置きを書き過ぎた、悪い癖である。

 結論から言うと、優しさを持っていたところでこの世であまり役に立つことはないだろう。もちろん、この世が弱肉強食で悪党が微笑む社会だからとか、優しさなんて持っていても足を救われるだけ等とすっかりこの世に拗ねてしまった人間の定型句のような台詞を吐きたいわけではない。そもそも、優しさとはほぼ全ての人間が持ち合わせているものである。何を持って優しさとするかは一旦置いておくが、元来人間は多かれ少なかれ優しさを持っているものであり、それを友人や家族といった近しい人物や、場合によっては見ず知らずの誰かに渡しているだけである。そのため、皆に当てはまる特徴が個性になることが少ないように、優しさが個性、より言い換えるなら長所として数えられることは少ない。大多数の人間が、少なくとも自分に近しい人間には優しいという性質を持っているため、優しさは周りと比べて異なっている点、つまり個性には成り得ない。なので、女の子から優しさを褒められたとしても、それで喜んだり舞い上がっては行けないと考えていい。優しさを褒められたとしても、それはあなたのことをよく知らない、もしくは興味が無いと言っているのとほぼ同義である。この事を過去の自分にメールとかで送りつけたいとは常々と思っている。女の子から優しさを褒められたとしてもその娘は俺に何の興味もないぞ、早く気づけ。

 少し脱線したが、話を戻そうと思う。先程の文章で人間は多かれ少なかれ皆優しさを持っていると書いたが、この文章にはもう一つの意味を込めている。それは人の持つ優しさは有限というものである。少し考えれば分かることなのだが、コミュニケーションをとる全ての人間に対して同等質量の優しさを向け続けることは物理的に難しいし、どうしても人に与える優しさに差は出てしまう。事実俺も長年の親友に助けを求められれば何でも応える所存でいるが、少し顔見知り程度の人間に助けを求められても、尻込みしてしまう気がする。理想を言えば全ての人間に平等に優しく接するべきなのだろうが、どうしても一人一人に向ける優しさには差が出てしまう。この点から一つ問題が発生する。それは他人からたくさん優しさを集められる人間と集められない人間の間に格差が生まれてしまうということである。優しさが有限であり、誰に優しさを振り分けるかを個々人が決める以上、どうしても優しさをたくさんもらえる人間ともらえない人間という二種類が発生してしまう。もちろん日頃から人とのコミュニーケーションを大事にし、人と仲良くなることを心がけているような人間が、たくさんの優しさをもらえるのは理に叶っていて良いと思う。ただ、コミュニケーションを大事にしていたとしても本人の資質等諸々の原因であまり人と仲良くなれない人間は、本人がコミュニケーションを大事にしているのに上手く仲良くなれず、しかも人から優しくしてもらえず共同体の中で浮く可能性すらある。書いていて不憫すぎる。

 そもそも何をもって優しさというのだろうか、というよりも優しさは相手からしてもらった事を受け手側が優しさか否かと判断しているだけではないだろうか。そうなると少し怖いものがある。そうなると、何をしたかより誰がしたかが判断基準において重要になるのは目に見えているからである。例えば、この人は人間的に好きではないから、優しくされてもそれは何か別の目的があるだけで優しさではないと判断してしまう場合や、別のケースだと、この人は社会的な地位が高いからこの人から突き放されたとしても、それはこちらを成長させようとしてくれた "優しさ" である、と判断するような場合がある。もちろん、本当に前述の通りの場合だってあるだろうし、むしろそっちの方が多いとは思う。だけど、俺は嫌いな人間がふとした時に見せてくれる優しさがかなり好きだし、社会的に地位の高い人間が全員聖人とは限らないと考えている。だから、可能な限り先入観とかを捨てて、相手からしてもらった何かを優しさであると解釈するように心がけている。まあ、それでも優しさを受け取ってあげられないときはあるけれど…

 まだまだ書き足りないが、今日はここで一旦終わらせる。優しさについて俺はずっと考えてるし、優しくなりたいです。ほんとに。

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