本質的って本質的になんじゃらほい?
「本質的」って本質的になんじゃらほい?
そう思い始めたのはここのところ。いや言葉の意味はわかる。本質とはそのまま物事にそなわる普遍的な性質、といった意味合いだろう。
ところがどっこい、この本質的という言葉の意味に含まれる「普遍性」についてはいささか疑問が残る。普遍性とは「帰納」とそれに付随する「無限」を含む概念だからだ。
帰納については「生理学的に、あるいは進化論的にそれが有効なように思われる」という根拠しかない。
無限については「私たちの認識を超越して延長している」という確かめようのない概念だ。
さらに言えば、視野の広さと意識の向いている方向によってその本質的なもの……帰納-無限延長のされ方が様々であって、本質的という言葉を使うときには言葉自身が文脈依存なのも問題となる。
ということで「本質的」という言葉を説明する場合、以下のように「普遍的」という言葉を回避し、帰納の曖昧性を認め、ついでに無限を緩和した表現に言い換えた方がより正確なように思われる。
「ある暫定的な視点から、ある広さの視野をもって意識を向けるとき、少なくともその意識の中のどこを見ても存在しているように思われ、それが永きに渡って存在し続けていて、これからもそうだと思われる性質」
……ややこしいのでやっぱり最初の説明でいい気もするけど、本質的だったり普遍的という言葉の意味の理解が少しだけ深まった気がする、という雑記。
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