給食がすごいことになっていた

本当に本当に、おかしな方向に向かっている感じがしてきています。

「ソーシャルディスタンスを保つ」のが目的で、運動会のリレーで使うバトンが2mくらいになった、という話を聞いて笑い事にしていましたけど、今度の話は笑えません。

どう考えてもおかしい。これを「おかしいですから、やめましょう」と現場で発言する人がいなかったのでしょうか?

だとしたら、その組織もおかしい。

1日のうちに1食程度が、こんな感じになっても大きな問題はないでしょう。他の食事で栄養摂取をカバーできれば。

しかし、給食の栄養が重要な位置付けになっている家庭もあると聞きます。

高齢者の低栄養とは意味が違うんです。子供の低栄養は。

成人してその先も健やかに活動できるかどうかの基盤を作るのが、子供時代の栄養摂取と言われます。

感染対策と言いながら、未来への負債を背負わせているような対策が目についてきました。

栄養とカロリー摂取の工夫のために、コッペパンのサイズが大きくされた、と記事には書いてありましたけど、ウケを狙っている?と思ってしまいます。

ちょっと前に話したある人が、「もう、日本は先進国ではないね」と言っていましたけど、本当にそうですね。

子供から始まった家庭内感染で、子供自身が悲惨な状況を味わうニュースも見ました。

そういうケースもあるにはあるでしょう。

けれど、その対策がこれでいいのか?と何とも言えない気持ちになります。

今後について、厚木市では感染状況を踏まえ、栄養不足回避のために、できるだけ早く通常給食を提供する方向で調整をしていて、近く決定する予定です。

と記事の最後の方に書いてありましたので、何かしらの改善がされていくと思いますし、それを願います。

海外の実験的な取り組みが多数報告されています。

日本は、そういった情報を用いながら方向性を決めていけるポジションにいると思います。(良くも悪くもスピード感が遅いので)

意思決定の役割を担っている人、その人に助言する立場の人、物事を俯瞰的に見て判断をしていってほしいです。

「生きてさえいればいいのか?」この疑問は、病院勤務していた時からずっとありました。

「この人が生きてさえいてくれたらいい」そう話すご家族もいるにはいました。それぞれの事情があることでしょう。

全国民的にそうなのでしょうか?そして「誰が?」生きてさえいればいいのでしょうか?

子供たちの給食が粗末なものになったり、子供達同士のコミュニケーションを希薄にしていったり、活動範囲を制限していったり、子供は従うしかない存在で多くは大人が決めています。

何を最優先事項にして、何を切り捨てているのか、大人が腹を割って話し合ってほしいものです。大人が話そうとすると、忖度というか相手の顔色を伺うか、喧嘩になるかしかない様子ですけど。。

「持続可能性」をどんな風に捉えるかにもよるでしょうけど、生活が持続していくには子供が健全に育っていく必要があると思うんです。

「今の命」だけを見ていると方向を誤ることもあるんじゃないかな、とか思ったりします。

感染対策と持続可能性は相容れないものとは思いませんけど、「ゼロコロナ」とか言っている内容と持続可能性はバッティングするでしょうね。

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