そうだ、小説を読もう
ノンフィクションを読んでいたり
勉強をしていたり
目の前の現実の出来事に集中していると
小説が読みたくなる。
仕事上、「人間」を相手にしているので、ボクの日常に【仮説】は欠かせない。
「もしも、この人が〇〇ならば(〇〇じゃなかったら)・・・」
「もしも、この人が△△したら(△△しなかったら)・・・」
なんてのは日常茶飯事だ。
それ以外にも、
「もしも、こんな出来事が起きたら」
みたいな【仮説】を積み重ねておくことは、とても重要な意味を持っていると思っている。
仮説は言うなれば、
「まだ現実になっていないこと」
つまり、これから起こるかもしれないし
起こらないかもしれないこと
を言うものだと思っている。
科学の実験なんかでも
「仮説」を立てて、それを実証して
みたいなことを繰り返す。
妄想だ
と言われようとも
仮説を積み重ねていくことは、ある意味
「科学的」な作業とも言える。
別に、機械を使って実験して
統計学的な処理をすることが
「科学的」ではない。
私のような
「妄想家」
もやってる手順は科学的なのである。
話が逸れた。
そういった仮説が散りばめられているのが
「小説」の世界だ。
小説家は仮説を提供するのが仕事である
と
村上春樹氏はおっしゃっている。
リアルを追いかけすぎるとファンタジーが欲しくなる。
ファンタジーの向こう側にリアルが現れたりもする。
村上春樹氏は
「壁抜け」
という表現を使われるが
なんとなくわかる気がする。
上手く表現できないが、壁抜けをしているのではないか?と自分で思う瞬間もある。
横断的に物事を考えるっていうのも、壁抜けなんだろうと思う。
ある一つの考えを掘り下げていくことは、縦断的な思考だろう。
その縦の世界が並んでいるところで、横にある「別の縦」に行ってみるには壁を抜ける必要がある。
最近、自分の中で仮説が枯渇してきた感じがする。
パターン化しつつある自分を飛び越えて立体感のある仮説を持つためにボクには「物語」が必要みたいだ。
現実に苦しんでいる人へ
もしかしたら仮説が枯渇しているのかもしれない。
あなたには物語が必要なのかもしれない。
私はインターネットよりも小説をお奨めしたい。
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