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いくらなんでもそれは言い過ぎよね、と思った発信

偽医学というかデマというか、はっきりしない情報を堂々と語る文章に出会った。

健康増進目的にいろいろなメソッドがあるのは気にしていません。

むしろ興味津々で、色々な考え方ややり方を知りたいくらい。


医療ができない部分を補う位置づけとして、そういうもの(ボディーワークとか)は積極的に情報収集しています。

その中で、見落とせない表現がありました。


なにやら呼吸法について発信している人なのかな?

深い呼吸や腹を使った呼吸のリラックス効果みたいなのは実感できるので、やらないよりはやったら良いと思うし、できないよりはできたら良いと思う。

けれど、それと現在のウイルス感染予防を免疫と絡めて話すのは飛躍しすぎじゃないだろうか?


ワクチンの効果だってハッキリしたモノは言えない。

マスクだって、3密回避だって、たぶん効果的だろうってくらいではっきりとは言えていないはず。

それなのに、「SARS-CoV-2由来のCOVID-19は呼吸器疾患だから、呼吸が浅い人は重症化するけど、呼吸が深い人は重症化することはない」と表現されていました。

それは個人の感想?想像?妄想?

呼吸が浅い、と深い、の定義は何でしょう?

その両者に境界線があるとして、境界型の人は?

などなど、「言い切る」には無理がある論拠かなと思って読みました。


他にも「自律神経の活性レベルが低く、免疫力が低いとは呼吸が浅いということ」など。

耳障りのいい言葉を並べて、不安を煽り、その後に「これをすれば大丈夫」と安心感を与える。よくある手法ですね。

でも、完全に嘘を言っているわけでもないでしょうし、文章の他の部分では「その通り!」と思えることを言っています。

「その通り」っていうのは、論理的な意見です。公式に発表されてる複数のデータから読み取った意見です。

この人の意見は賛成できる部分と、疑問を持つ部分の両方があります。

でも、これが「当たり前」です。


誰かの言っていることに対して「諸手を挙げて賛成」はちょっと危険です。盲信していることになりますね。それは支配される構造になります。

学校の試験のように正解と不正解がハッキリしているモノであれば別ですが、世の中のあれこれや、人の思想、性格などに対してマルとバツをつけるなんて困難です。


なので、結局、情報を受け取る側が「自分自身の考え」を持たないといけないわけです。

人に流される態度では、容易に絶望に向かいます。希望に向かう場合もありますけど。

どういうわけかマスメディアは絶望寄りの情報を流すので、希望を持つには自分で調べる、自分で考える、など主体的になる必要があるのです。


主語を「私は」にする。「私が」にする。

それが自立した存在です。

「あなたが」、「あの人が」、になっている思考、行動、発言は、「依存」になっています。


偽医学、偽科学、デマを振りまく側にも問題があるでしょうけど、受け取る側が主体的に判断できていれば問題ないと考えます。

完全に正しい人や完全に間違っている人なんているんでしょうか?いるかもしれないし、いないかもしれない。

冒頭に紹介した意見も、全文読むと紹介した部分以外できちんとした意見も言っています。


私もそうですが、情報は切り取られて発信されます。

主体的になって、情報を吟味して、「ありたい自分」に向かって生きていきましょう。。

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