体の使い方を練る冬の遊び
「災害級の寒波がくる」と天気予報が何日も前から騒いでいた。
「雪が降る」。
それは子供にとっては楽しみなことらしく、災害級の寒波を楽しみに待っていた様子だった。
雪が降ること自体は何も珍しいわけじゃないのだけど、「降り積もって雪が消えない」状況までには至らない。
だから、子供にとっては「降り積もる雪」は心待ちにする対象なのかもしれない。
私にとっては「そういう雪」をもう一生分味わった。
できることなら、連日の雪かきは避けたいし、雪で混乱した道路を走りたいとは思わないし、雪で公共交通機関のダイヤが乱れるのは勘弁して欲しい。
それでも、雪が降らないと残念に思うし、心配になる。
冬に降った雪が後の水源になるわけだから。
この世は循環している。
そんな災害級の寒波も、私の住んでいるところには大きな影響を出さなかった。
雪は降っていたけれど、それよりも風が強く、降った雪が積もらない。
雪かきの必要はなく、朝に雪化粧されていても夕方には消えている。そんな程度だった。
その代わり、寒さはかなり堪えた。
昼の最高気温で0度になっている日もあって、かなり寒い。
薪ストーブをフル稼働だ。
私が購入している薪は大きなブロックのような状態で届く。(薪は買うものなのだ。残念だけど。)
ブロックのような大きな木は、ストーブの中でうまく燃焼しない。
駄々をこねる子供のように、黒く燻っている。
温度は上がらないし、煤を飛ばすので、やっかいだ。
なので、大きなブロックを燃えやすい大きさに割らないといけない。
薪割り器なるものもあるらしい。
エンジンで動くものから、ハンマーで叩くタイプまでいろいろある。
我が家にはそのような代物はないし、手に入れようとも思わない。
我が家にある道具は、せいぜいが「鉈」だ。鋸もあるが、薪を割る道具ではない。
斧があれば楽かと思ったこともあるが、流石に物騒ではある。
鉈を振り下ろし、ブロックを叩き割る。
これがなかなかの重労働かつ、技術を要する。
道具そのものに重さがないので、使用する人間が力を加えないといけない。
しかし、腕だけで振り下ろした鉈はブロックを割らない。
体を沈ませ、鉈を下ろすスピードを加速させつつ、ブロックに当たる瞬間に力を伝える。
しかも、狙った位置に。
それができると、パカンと割れるのだけど、外せば手が痛い。
うまくできないと腰や膝も痛い。
これが、冬の最大の遊びだ。
走るのが最大の遊びだったけど、蕁麻疹が出て痒くなるので寒い季節に外を走らないようにしている。
屋外での遊びの意味では薪割りも同じなのだけど、寒い、痒い、と感じてから暖かいところに戻るまでの時間が全く違うので、薪割りは気にせず外に出る。
体の使い方を練りながらの遊びは最高だ。
生活の一つ一つがあそびになる感覚で過ごしている。
「やることない」とぼやく子供にはまだわからないみたいだ。
そういう面白みを伝えるのが大人に役目なのかもしれない。私にはうまく伝えられないのだけど。
子供は遊びの天才、遊びの達人、と表現されるけど、少なくとも最近の子供はそうではないように思う。
私もそうだけど、「あれこれしてはいけません。」なんて言ってしまうと、子供は大人の概念の中でしか選択肢を持たなくなってしまう。
かといって、子供がやりたいように、無制限にやらせると、怪我、破損、紛失、などなどのトラブルも生まれる。
困った問題ではある。
然るべきタイミングで気づいてもらえたらいいか、とこれまで口にしてきてしまったあれこれについて反省はする。
今日も薪割りをしていたので、全身がくたくただ。
全身が疲れたのはうまく散らせた証拠かもしれない。
寒い日は続く・・・
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